見えない糸

今、自分がやろうとしていること。今、自分が目指しているもの。そういったことが、本当に目指すべきところなのだろうか。人は、そう感じて迷うことがある。心の底から、「やりたい」という感情が、沸きき起こってくるのに、頭は「止めておけ」という。

自分には、「これがやりたいことだ」と、言い聞かせながら、実は苦しみながらやっている。こうした状況にあるとき、確実に解決する方法が、ひとつある。それは、自分自身に問うこと。

頭や理性に問うのではない。心に問いかけ、感情を感じ取る。基準は、いたって簡単だ。「ワクワクする感情を感じるか」。一見、自分の夢とは、かけ離れているかのような事柄。自分の夢とは、全く関連性がないように感じてしまうような事柄。実は、それらは見えない糸で、ひとつに繋がっているという。

その成否を教えてくれるのが、「ワクワクする」という感情だ。ワクワク感を感じたとしたら、その見えない糸を手繰り寄せるように行動する。その選択や方向性は、自分にとって正しい方向に向かっている。

そして、疑いもなく信頼して選択するならば、その先には、自分の目指すべきものがある。しかし、ほとんどの人は、「そうはいっても・・」と躊躇する。ある一定の期間だけでもいい。そう決めて、思い切って行動してみるといい。

夢に繋がる見えない糸を手繰り寄せている感覚を体感できる出来事にめぐり合うことが出来るだろう。そして、その糸の先には、自分自身が想像以上の方法で実現されてしまった”結果”が、待っているかもしれない。

鎖につながれた象

象をおとなしくさせておく方法がある。後ろ足のひとつに鎖をつなぎ、象の力では、決して抜けない杭につないでおく。はじめのうち、象はそれに抵抗し、杭を抜いてしまうおうと暴れ回る。

しかし、直にその努力は無駄だということに気付く。そして、抵抗をやめて、おとなしくなる。そうなれば、象を小さな杭に繋いでいても、抵抗せずおとなしくさせておくことができるという。

たとえ、それが少し力を入れれば、簡単に抜けてしまう杭であったとしても。心理学者セリグマンは、「学習性無力感理論」を提唱した。長期間にわたる挫折や失敗の経験の繰り返しは、無力感を学習させ、自己の影響力の認識を低下させる。

つまり、「努力しても、良い結果を導く事など出来ないから何をしても無駄である」という悲観的な無力感。どこかで、「どうせうまくいかない」と思い込んではいないか。

「いくら頑張っても無駄だ」と感じていないだろうか。「無気力は、学習されていく」。無気力の学習から逃れる方法は、小さな成功体験を積み上げること。

小さな成功体験も見逃さず、自分自身への喜びと糧にすることだ。

セルフイメージを守る

事をなすために必要な要素。「無意識(修練による無意識の技術)」「集中力」「セルフイメージ」。このうち、もっとも重要、かつ判り難いのが、セルフイメージではないだろうか。

自分の今、抱いているセルフイメージ。そして、自分が本来理想とするセルフイメージ。それが、一致しているのかどうか。簡単にいえば、セルフイメージとは、自分の理想を先取りしてしまうイメージだ。

自分は、こうありたい。そう願う姿が、今まさにここにある。これには、重要な考え方が後に続く。「たとえ、今ここに無いとしても」。一流のイメージを描くならば、すでに一流であると振舞うこと。

間違っても、抱いてはいけないイメージは、一流になりたい」などの考え方だ。一流になりたい=今は、三流という認識。つまり、一流になりたいという思いは、自分は三流であるセルフイメージを持っていることになる。

セルフイメージは、「自分は~したい」ではなく、「自分は~だ」というイメージを描くこと。そして、そのイメージを一度描いたなら、そのイメージを崩すような言動は行わない。

今は、お金がないから、時間がないからと、妥協を繰り返していては、セルフイメージは守れない。セルフイメージは、自分のアイデンティティ。それ自身が、自分自身であるとまで思い込む。

そのエネルギーとチカラは、すさまじい。名を馳せた人たちは、成功するずっと以前から、そうしたエネルギーとチカラを持ち続けている。自分は、どんなセルフイメージを抱くのか。そして、それを守り通しているだろうか。

この問いかけに、心をフラットにして応えてみる。それは、夢を描くように楽しい取り組みだ。

「現実的」

子供が、自分の将来像を描くとき、そこに、2つの傾向があるように感じる。ひとつは、今現在の価値観の延長にあるもの。具体的には、親の価値観に基づくものになる。

たとえば、いい大学にいって、いい会社に就職する。スポーツ選手になる夢もあるだろうが、世界で活躍する選手は、難しいのでコーチに納まってみる。

しかし、それらは、一見現実的で見えて、極めて非現実的な将来像だといえる。今の親の世代が小学生の頃、携帯電話やスマホ、クラウドの世界を想像できただろうか。

ツイッターやフェイスブックなどのSNSによって、国の在り方が変わることが想像できただろうか。それは、今の価値観で将来を推し量ることの儚さを、まざまざと見せ付けてくれているといっていい。

もう一方の夢の描き方は、根拠のない純粋に想いからくる将来像。カードゲームで日本一の選手になりたい。面白い漫画が描ける漫画家になりたい。そうなったとしてどうなる。それは、意味があることなのか。

大人は、そう考えてしまいがちだ。しかし、現在から考える未来なんて、何を考えてみたところで意味などないのだ。だったら、好きなことやりたいことを精一杯、目指しているほうが、幸せにぶつかる可能性は高い。

大人になればなるほど、「現実的」に考えることを当たり前にしてしまう。しかし、その「現実的」思考ですら、本当は、現実的ではないということ。

過去を振り返ってみてどうだろうか。一体、自分の思いどおりにことが進んだことは、どれくらいあっただろうか。そのことが、まさにそれを証明している。

ケネディ大統領はいった。「行動計画には、リスクや費用が含まれる」。「しかし、長期的な視点では、何もしない場合よりも
行動を起こすほうが、リスクや費用は低くなる」。

行動することこそが、最も現実的なのだ。

トップクラスの準備

ゴルフ界の世界女王、アニカ・ソレンスタムの引退宣言。先日、ある番組で、日本のゴルファー上田桃子が、アニカの継承者として指導を受けたとあった。

そして、アニカのキャディーを務めていた、テリー氏が、上田桃子のキャディーとなるという。アニカ、そしてテリーが共通して、まず、上田に伝えたことがあるという。それは、「準備の大切さ」だという。

望みどおりのプレー、期待する結果を得るには、それに相応しい「準備」が必要なのだという。まず、テリーは、上田に朝の移動中の朝食をやめ、きちんと時間をとって食べるように指導したという。

これが一体、ゴルフと何が関係あるのか。人間という生き物は、高度な生き物ではない。普段と違う行動や思考を、突然行うことはできない。だから、普段の行いの中から、自分のペースや、平常心、丁寧さが必要なのだ。

故に、普段の生活スタイルそのものが、すでに「準備」であると、彼は伝えたのだろう。これは、横綱の品格にも通じるものがあると思う。横綱になるには品格が必要なのではない。

そういった品格が備わっていなければ、横綱になることはできないというのが本当だろう。この考え方は、「はじめに成る」ことから始める、成功者特有の思考法に似ている。

「一流になろうと思う」ということは、「自分は、三流である」と認めることと同じ。だから、現実も三流のままでいる。現実に一流になる人というのは、三流のときから、一流のように振舞う。

それは、自分が一流だと認めることになり、結果として、本当に一流になっていくという。こうした、思考や振る舞いは、すべて「準備」ということだろう。

テクニックや技術は、磨けばそこそこ伸びる。しかし、トップ数%に入るというのは、技術以外のこうした「準備」ができるかどうか。そういうことなのだろうと感じた。

意思の力

自分は意思が弱い。そう感じているなら、それは全く問題ない。なぜなら、意思の力だけで、期待する結果を得れるわけではない。

「意思は、想像力には勝てない」

このことを意識せず、意思の力だけで、事を成し遂げようとするとうまくいかないことが多い。よく例として挙げられるのは、禁煙やダイエット。

禁煙しようと「決める」。しかし、食後の一服のイメージを抱くと思わず・・・。ダイエットしようと「決める」。しかし、あのラーメンの味を思い出すと思わず・・・。フランスの医学者エミール・クーエは、これを3つの法則で説明した。

第一の法則。意思と想像力が争えば必ず想像力が勝る。第二の法則。意思と想像力が一致すれば、その力は和ではなく、積である。第三の法則。想像力は誘導することができる。

つまり、物事を成し遂げるには、こうすることだ。「意思と想像力を一致させるように、想像力を誘導する」。禁煙するなら、健康的な自分を想像し、その姿を実現しようとする意思を持つ。

ダイエットするなら、スタイルのいい自分を想像し、その姿であることの快感を得ようとする意思を持つ。想像力は、自分で誘導することができる。これは、人間の特権のひとつだ。

「よし!やるゾ!」強い意志のウラにある、本当のイメージは? デキている自分やその快感を得るイメージがあればOK。そうはいっても、デキているイメージができなければNG。

物事はイメージできれば80%成功したも同然。自分は意思が弱いということを嘆くより、想像力が乏しいことを改めることから始めよう。想像することに特別なスキルや経験は必要ない。誰にだって、いつだって好きなように出来ることなのだから。

「成る」科学

ある状態に成りたいと感じる事は、 実は、成るということの妨げになる。なぜならば、成りたいと感じているということは、今は、そういった状態でないことを認めること。

つまり、脳は、信じていることを全力で実現するから、そうではないと信じている状態が、現実に実現される。このある種の法則は、科学だといえるだろう。

科学とは、例外なく必ず起こることだ。 だから、まずその気になることが重要で、そのつもりで行動することが、さらにイメージを加速させる。この「法則」を証明するかのようなエピソード。

ダウンタウンの松っちゃんこと、松本人志。 彼は、お笑いの世界で頂点に登りつめたと「思われている」。しかし、実際のところ、彼自身に「登った」感覚はないという。なぜならば、自分は、始めからそこにいた。

つまり、頂上に始めからいたという。 全く、売れていない頃から。

彼の活動そのものは、自分が頂上にいることを、世間に知らせてきたことだったという。そして、それが世間に知れ渡ったとき、「一般的」にも、「頂上に登ったと認識」された。

彼は、登りつめたのではない。周囲の評価の如何によらず、始めからそこにいた。

松っちゃんだけではなく、スポーツや文学の世界でも、この法則は、あらゆる人達が証明してくれている。「成りたい」から始めるのではなく、「成る」ことから始める。一見、矛盾や違和感を感じるかもしれない。しかし、それが「法則」であり、「科学」なのだ。