順序

楽しそうな人をみて、楽しくていいなと思う。幸せそうな人をみて、幸せでいいなと思う。そして、自分も、もっと幸せならば、もっと、笑顔でいられるのに、と思う。でも、真実は逆だという。

幸せだから、笑顔でいられるのではなく、笑顔でいるから、幸せになれる。ポジティブ思考の原点は、ここにある。つまり、物事をいい方向に考えることが、ポジティブ思考だということではない。それを、行動にまで持ち上げること。

楽しいと思うならば、それを実感して表現すること。ポジティブ思考でも、うまくいかないと感じるのは、この、あともう一歩踏み込んだ取り組みがないため。物事は、常に中立である。それ自体には、いいも、悪いもない。

それに意味を与えるのは、いつも、それを受け取った人の価値観。人間、万事塞翁が馬。何が幸で、何が不幸かなどは、そのときどきの場面だけではわからない。この教えは、はるか昔から変わらない。だったら、いい方向に捉えた方が幸せだ。

たとえ、この世が、あと一ヶ月だとしても、その一ヶ月間を、悩み苦しみながら過ごすか。それとも、残りの人生を謳歌して過ごすか。どちらも、同じ一ヶ月だ。人は、必ず死を向かえる。であれば、残りの期間をどう過ごすことが賢明か。

あれもよし、これもよし。何はともあれ、笑ってみるか。

答えのある場所

コーチングの基本スタンスは、「答えは、自分の中にある」ということ。優れたコーチは、自分の経験や武勇伝から、それを真似させようとはしないもの。その人自身のもつ可能性を引き出すため、その人自身のもつ「答え」に気付かせようとする。

その「答え」への道筋や気付きを与えるのが、コーチであり、コーチングの役割だといえる。このコーチングの手法を考えたとき、それを自らに適用してみるという考え方もできる。

つまり、悩みや不安、迷いにぶつかったら、まず、「その答えは、自分にある」と言い聞かせてみる。それから、まるで誰かに状況を話すかのように、自分の考えや想いをめぐらせて見る。

そのとき、考えや思いをめぐらすために、何度か自分に質問を問いかけてみる。YesNoで答えられる質問からは、「気付き」というのは、得られにくい。

「どんな風に?」「○○とは、どういうこと?」こういった質問形式のように、答えに幅を持たせられる質問形式をとる。それを繰り返していくと、ふと、「腑に落ちる思い」にぶつかることがある。それが、「答え」である可能性が高い。

あとは、その答えを充分に「感じてみる」こと。迷いや不安を感じなければ、それが答えだ。もちろん、「答え」とは、必ずしもゴールではない。次の道筋への手段や方法である場合もある。

誰かに相談するということは、話す過程で、気付きを得るという効果がある。しかし、その方法は、一方で、「他人の価値観に影響を受ける」という側面がある。コーチングを知っている人は、自分の価値観の押し付けはしない。

もし、誰かに相談する方法を取るならば、価値観を押し付けでないことを見極めること。それよりも、まず自分で自分をコーチング。それが、一番早い。答えは常に、自分の中にある。その考え方ひとつで、ほとんどの問題や悩みは解決できる。

険しい道もある

今の現状が苦しいからといって、この先、すべての人生が苦しいとは限らない。人生の勝ち負けの基準を、その一遍だけで簡単に判断することはできないのだ。カーネルサンダースは、65歳のときに、ケンタッキーフライドチキンを始めた。

彼の喫茶店は、好評だったが、ハイウェイが出来てから、売上げが落ち込み閉店した。その後の整理をすると手元にお金はほとんど残らなかった。そして、年金生活で受け取れるの、毎月105ドル。

ハッピーエンドで終わると信じていた人生が、66歳を迎える前に、ほとんどすべてを失ってしまった。それから、チキンのレシピを売って歩いた。1000件以上も断られ続けた。この1件1件は、果たして「負け」だっただろうか。

しかし、彼は、その試練を「負け」として終わらせなかった。その秘訣を、彼の言葉の中に見ることができる。カーネルサンダースは、こう言っている。

(ここから)ずるい手段を使ったり、相手を欺いたり、弱い立場の人に圧力をかけたり、さらに詐欺や不正な手段を使った方が、楽に成功できる。そしてわれわれはそのような手段を使うことも、ビジネスの一貫だとして大目に見てしまいがちである。

約束したことを守り抜いたり、自分の仕事を妥協することなく継続したり、正しい道を貫きとおして成功することは容易なことではない。簡単な道のほうが効果的で、早く成功できるかもしれない。険しい道を進むのは努力が必要であり道のりも長い。

だが時が進むにつれ、最初簡単だった道はだんだんと難しくなり、険しかった道は徐々に容易になってくる。そして、長い年月とともに、簡単な道は砂の上に建てた櫓のように危険が増してくるが、険しい道はしっかりとした自信の上に作り上げられているので、崩されることはない。(ここまで)

勝ち負けの基準は、最後まで判らない。諦めなければ、「負け」はない。そして、カーネルサンダースは、ひとつの「勝ちパターン」を示してくれた。「損得」ではなく「善悪」に従うこと。「良心」に従うことが、勝ちパターンのひとつであるということを。

叶わぬ夢

目標を思い描いたとき、心のどこかで、それを信じられないことがある。「そんなこと、あるわけない」「今の自分に出来るわけ無い」誰に批判もされている訳でもないのに、自分で勝手に信じられない原因を作る。

そう感じる前に、少し考え方を変えてみたい。そもそも、絶対に無理なことをしたいと思うだろうか。今の政治が悪いからといって、総理大臣になろうと思うだろうか?野球が好きだからといって、メジャーリーグに出ようと思うだろうか?

好きなところに、すぐに行きたいからといって、自力で空を飛ぼうと思うだろうか?自分自身で実現できないことは、そもそも、「やりたい」という感情すら起こらない。これは、人間のとても素敵な特徴だ。

そもそも無理なことに、悩み苦しまないようになっている。逆に、頭に思い浮かぶことは、「実現可能性が高い」ということばかりだといえる。出来るから、やってみたいと思う。

そう気付いたとき、今の目標に対して、出来ない理由を探している意味はなんだろうか。それこそ、とても無駄なことのように思えないか。心のどこかで、出来ると信じる自分がいる。誰かが、「やってみろ」と教えてくれている。

自分の夢が勝手な思い込みや空想でないとしたら、その夢への道のりに現実味が帯びてこないか。その想いが、腑に落ち納得できたとき、すでに夢の実現が決まっているといってもいい。

一度目の創造

あらゆるものは、二度作られるという。一度目は、想像によって作られ、二度目は、物理的に作られる。人間が作り出したものの中で、想像なくして、実現したものは存在しない。

それが、料理であろうと建物であろうと、はじめに、「こうしよう」というイメージがある。そして、人間というものは、実現可能なものしか「しよう」とは思わない。つまり、ものの出来栄えというのは、想像力の出来栄えといっても過言ではない。

想像力というのは、すべての人が持ち合わせているが、それに条件を持たせているかどうかの違いがある。「常識」や「経験」は、その足かせになることも多い。常識や経験は、過去のものであって未来のものではない。

アインシュタインはいった。「知識よりも、想像が重要だ」これは、知識は過去のものであり、想像は、未来のものであると言っている。何か新しいことを作るためには、知識や情報が必要だという観念に支配されやすい。

全く新しいことばかりではなく、今あることの組み合わせが新しいものを作る場合もある。そういったことは、もはや知識ではない。固定観念に縛られない想像力の賜物だ。往々にして、二度目の物理的創造こそが、物事を「作ること」と理解されやすい。

しかし、その重要なカギを握るのは、一度目の想像による創造だ。一度目の創造で何を描くか。自分自身に、一度目の創造について問う。「どうしたいのか?何を実現したいのか?」この過程を楽しむことができれば、新しい何かが始められそうな気がする。

空間を埋める

この物理世界において、特筆すべき特徴は、”空間”という概念ではないだろうか。それは、距離的な空間を含め、時間的空間もある。そして、現実化を阻害する要因としての観念や先入観。そうしたものも、またこの世界独特の”空間”だ。

だから、映画にあるマトリックスのように、思ったことを、すぐには現実化することはできない。空間があるということは、何かを実現するためには、その空間を埋める行動が必要となるということだ。

つまり、東京に行くならば、電車に乗る。電車に乗るならば、駅に行かなければならない。打率を上げることも、魚を釣ることも同じ。どんな些細なことでも、そうでないことでも、そこには、空間を埋めるための行動がある。

そして、その空間を埋めるための行動は、その度合いによって、様々になる。「電車に乗る」といった速攻性のある行動もあれば、観念や先入観という空間を埋めるための行動もある。この空間を埋める行動は、ショートカットできない。

「石の上にも3年」ということわざも、「最低限の空間を埋めるためには3年を要する」と理解できる。その途中で辞めてしまうこともできるし、とにかく、続けることもできる。

とにかく、何が何でも続けるということが、必ずしも正しいという意味ではないことも、付け加えておく。そこに、正しいとか正しくないとかという判断はない。あるのは、自分がどうしたいか。様々な空間を埋めた先に、何を想像しているか。

それが、自分の本当に望むものなのかどうか。それがそうならば、今の時間は必要な時間。たとえ、結果が伴わない時間を重ねても、その過程で、観念や先入観を超え新たな経験を得る。

それは、必ず必要な時間。重要なことは、視点を周囲の見方や評価ではなく、自分自身の内面に持っていくことにあるだろう。あるレベルに到達して結果を出す。そのための空間を埋めるための行動。その行動に成功はなくとも、成長はある。

辛さや苦しさは、視点が周囲に向いている証拠。楽しみながら、空間を埋める行動をしよう。

扉を開けるカギ

人生を自分自身を探求する旅とするならば、誰しもが3つの扉を持っていると感じている。その3つの扉とは、人間関係、お金、ライフワーク。その扉のひとつを開け、自分が何者であるかを知る。

そして、学び成長すれば、また次の扉に出会う。人それぞれにメインテーマは異なり、扉の大きさや堅さも異なるだろう。ある人は、人間関係がメインテーマだったり、また、ある人はお金がメインテーマだったり。

どの扉も共通して持っているカギがあって、そのカギを手にしない限り、同じテーマの扉は出続ける。そのカギとは、「自分を中心に置く」という接し方。「あの人が、こうだから」、「仕事がああだから」と、その責を周囲に向けている以上、扉は開かない。

だから、お金で悩む人は、何かとお金のトラブルを抱え、人間関係で悩む人は、次々とまたトラブルを抱える。相手や周囲ではなく自分自身を見つめるカギ。それで扉を開けられれば、そのテーマはクリア。

そして、最終的にはライフワークの扉を開く。ライフワークとは、何も芸術的であったり、創造的であるものばかりではない。部下と共にチームで成果を上げるというライフワーク、母親や父親というライフワークもある。

そこでも、やはりカギは自分。自分自身への信頼がカギになる。人生は、何かを残したり手にすることが目的ではない。「何を得たか」ではなく、「どう生きたか」。その生き方のカギは、他人や周囲にはない。

常に自分自身の中にあることを知らなければならない。

限界

人というのは、自分の限界とか精一杯とか、そういった意識はなくとも基準を設定しているもの。普段から、ジョギングをしていない人にとっては、4キロのジョギングは、限界、無理だと感じる。

「試しに走ったことがなかったとしても」それは、自分が何の根拠もなく設定した基準。そういった基準の枠の中で、人は選択を繰り返している。これまでの自分の生活やレベルが満足でないならば、この「暗黙の基準」を、意識の中で塗り替えていく必要がある。

その作業は、さほど難しくない。「やってみる」という、一歩踏み出すだけでいい。2キロしか走ったことがなければ、4キロは厳しいと感じる。そして、その頃は、2キロが精一杯と感じている。

しかし、一度4キロを走ってみれば2キロは容易くなる。8キロなんて、無理だろうと感じていても、一度走ってみて、それが習慣になれば4キロは容易い。そして、20キロを走ってみれば、もはや8キロは、当初の2キロや4キロと同レベル。

毎日、走る事だって出来るようになる。2キロから初めて、8キロを平均的に走れるようになるまで、それに要する期間は、およそ2ヶ月程度くらいのもの。つまり、2ヶ月程度で、自分の基準は大きく変わる。

事の大小は、あるにしろ、この考え方は、あらゆる物事に対して、適用することができる。知らず知らずに設定している自分の基準。根拠もなく、限界だと感じていることは何だろうか。

そのいい加減さと曖昧さを実感し、それを塗り替えることの容易さを知ること。それが、習慣を変え、未来を変える原動力になる。

必勝の技

思い切ったことをやろうとするとき、それに踏み出すかどうかのひとつの基準がある。それが、「根拠のない自信」だ。一方で、辞めた方がいいという判断基準もある。

それが、「勇気を必要とするかどうか」。この二つの考え方は、大きく関連している。まず、自信があれば勇気は必要ない。必ずうまく感じていることに勇気など必要ないのだ。

毎朝の通勤電車に乗ることに、勇気が必要かどうかを確かめてみれば判りやすい。そして、根拠のない自信というのも、また同じ。今日、無事に1日を終えたからといって、明日も同じように無事に終える保障などどこにもない。

しかし、そのことに一抹の不安も感じない。また、同じように朝が来て1日を送ると「信じている」。そういった信頼や自信は、特別な何かを行う場合も同じ。脱サラした身として、よく相談を受けることがある。

そのとき、確認することは、まず「根拠のない自信」。根拠がないのだから、それが説明できなくてもいい。だから、「なぜ」などという野暮な質問はしない。

どこかで、うまくいくという確信めいたものがなければ、それは、必ずどこかでつまづきうまくいかない。逆に、どこか根拠のない自信があれば、たとえ、何かあってもつまづいても切り抜けていける。

実際のところ、そんなものだと感じている。すばらしい事業計画よりも技術よりも人脈よりも、まず、必要なことは、「根拠のない自信」。それに勝るものはないと感じる。

見えない壁

人は、誰でも知らず知らずのうちに壁を作るという。壁というのは、自分の限界の壁。「無理だ」という思い込みが、現実的に無理な結果を導き出す。その証拠として、誰かがその壁を越えるのを見ると、その壁は、いとも簡単に崩れ去る。

たとえば、男子100m10秒の壁。誰もが無理だと思い込んでいた。しかし、それを超える記録が一度でれば、堤防が崩れるかのように、10秒超えの記録が連発する。そして、10秒の壁は、もはや壁ではなくなってしまう。

メジャーリーグの壁。野茂選手が、それを超えることができることを証明した。そして、メジャーリーグに挑戦する日本人選手は、「無理だ」から、「自分にも出来る」に変わった。釣り場でも、同じことは起きる。

アタリのない状況で、誰かが釣り上げる。「あ、釣れるんじゃん」その瞬間から、アタリを感じ、実際に釣れ始める。ここで重要なのは、「誰かの後」に行くかどうか。誰かが示してくれた後でなければ出来ないかどうか。

どんな小さな分野であっても、こうしたパイオニア的な存在はありえる。誰かを待つ必要はない。まず、自分からやってみる。それは、心がけひとつで十分可能なことだ。