>リスク

「遭遇するリスクや逆境には、それと同等かそれ以上の利益が潜んでいる」言い回しは違えど、過去の賢人達は、こうした意図の忠告を後世に伝え続けている。

人には、それぞれ使命があるように、その使命に気付かせるためのイベントも用意される。それは、往々にして「問題の顔」をして現れる。多くの人は、その問題をできるだけ避けるように、できるだけ現状を維持できるように選択する。

しかし、過去の歴史を振り返っても、30年以上同じ状況が続いたことはない。ドッグイヤーと云われる昨今では、おそらく、長くても10年で環境は大きく変化する。現状維持は、後退を意味することを理解して、積極的に、潜んだ利益を取る決意も必要だ。

プロフィット(利益)>リスク(困難、逆境)。近視眼的には、辛いことも失敗もあるだろう。しかし、永い目で見れば結果的に良い事も多い。誰でも始めは失敗をする。しかし、リスクを判断する力は養われる。取るべきリスク。

避けるべきリスク。もちろん、ギャンブルは避けなければいけない。この判断を的確に行うにも、小さなリスクを取り続ける経験から生まれる。その固体がどういった経験則を経ているか。

それを仮説し、アプローチすることで、「取るべきリスク」として認識させることができる。プロフィット(利益)>リスク(困難、逆境)。どんな状況でも、優れた固体は、この公式を描いていることを忘れない。この公式が成り立つ選択をし続けよう。

いのちの時間

人生には、人それぞれのテーマがある。そのテーマを人生の中で成しえるには、必要な時間というものがあって、それも人それぞれ。医者になるにも、弁護士になるにも、いくら才能が豊かであっても必要な時間はある。

時間が短縮できることが優れているのではないし、その速さを競うことに、全く意味はない。人生とは、「いつ何をどれだけ得たか」ではなく、「どういう人間になるために何をしてきたか」だ。

カーネルサンダースは60歳を超えてから、ケンタッキーフライドチキンのレシピを売り歩いた。そのとき、彼はハイウェイによって、売上げが激減した店を手放して無一文だった。

さらに、そのレシピのライセンスを売り歩く過程で、1000回以上も断られている。60歳までの彼の人生は、決してムダではなく、その結果として受け取るもののために必要な過程。

「いのちに齢を加えるのではなく、齢にいのちを注ぎ込むようにしなさい」ある医師が、恩師から教わった言葉だ。人生は、その注ぎ込まれた重さで量られる。

自分のためだけに時間を注ぎ続ければ、空っぽの器だけが残っていることに気付くだろう。他人のために費やした時間は、いのちの時間として、自分という器を満たしてくれる。

その過程に費やされる時間も労力も、人それぞれであって、ベストなタイミングがある。いつはじめても、どんな状況であっても、始めるのに遅すぎるということはない。

時間の使い方を、ほんの少し見直すことで、人生の軌道修正を、簡単に行うことができる。「いのち」で満たす時間。そのために必要な時間や出来事。無駄な時間や出来事など存在しない。遅すぎるということは、決してないのだ。

出発を引き伸ばさない

何か大きな目標を掲げる。その目標までの道筋が見えないことを理由に躊躇していないだろうか。たとえ、その方法や道筋が見えていなくとも、それが、諦める理由にはならない。

なぜなら、それらが実現する形態は、往々にして、予想外の道筋であることが多い。大切なことは、小さな一歩を踏み出すこと。それが、次への一歩の道を示してくれる。そのことを示した詩がある。

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偉大な力を身に付けるまで出発を引き伸ばすな
動かないことは、あなたをさらに弱めるからである

明確に見えるようになるまで始めることを引き伸ばすな
光に向かって歩まなければならないからであるこの第一歩を取る力はあるか

必要性一目瞭然のこの小さな行いを実行する勇気はあるか
その第一歩をとり、その行いを実行せよその努力を果たすことで、あなたの力は尽きることなく倍増されることに驚くことだろう

そして次に実行すべきことは、明確に見えるようになるのである
-フィリップ・ベニエ
・・・

目標に近づくために、今出来る小さな一歩は何か?本を読むこと。人に会うこと。お店にいくこと。外に出てみること。それが、何になると疑ってはいけない。確信に満ちた一歩は、必ず次の一歩に繋がっている。

価値ある時間をつくる方法

物事を一旦、始めてしまうと、なかなか止めるタイミングがつかめない。このまま続けていいのだろうか?そう感じたときの考え方として、大切なこと。それは、「サンクコスト」。サンクコストとは、埋没費用という。

それまでにすでに投資した金額を示す。ありがちなのは、止められない理由として、「これまでここまで投資したのだから」という理由。公共事業でも、こういったケースはよくある。

しかし、これからさらに投資しようとしている金額が、見込みの収入を上回る見込みがなければ止めること。なぜなら、すでに投資した金額は、埋没費用という扱いだからだ。この考え方は、いろいろなケースに当てはめられる。

たとえば、読み始めた本。読む価値がない。読むのが苦痛。でも、ここまで読んだのだから・・・。サンクコストの考え方と回収の見込みを考え、読むことを止めてしまうという選択。映画、セミナー、ビジネス、etc。

やり始めたことやすでに投資したことは重要ではない。これから先の展開がどうなるのかという見方。そういった見方で、自分の身の回りを見直してみる。

すると、なかなか作れなかった、「本当にやりたい事をやる時間」が出来ないだろうか。もちろん、それは釣りの時間。釣りの将来への投資回収度は、決して低くない。

無意味なこと

これは、どんな意味があるのか。この答えは、何なんだろうか?この問いかけの姿勢には、2種類がある。ひとつは、固定観念に囚われないため。そして、もうひとつは不安から逃れるため。

しかし、固定観念に囚われない質問の答えも、不安から逃れるための答えも実は同じ。意味などない。意味があることを追求し始めると、行き着くところは、食べて寝るという行為。それ以外は、極端に言えば意味が無い。

そう考えれば、世の中意味のないものばかり。究極的には、不要なものばかりだ。本当に意味があるものの定義を、生存ということだけではなく、意義としたとする。

その意義でさえ、数々の無意味さの上にあって、ようやく、その意義というものがみえてくる。そう考えれば、無意味なことにも意味はある。「意味がないという意味がある」ということになる。

喜びと怒り、陰と陽、明と暗。物事には必ず対極するものがある。そして、対極するものがあるからこそ、もう一方の存在がより明確になっていく。

やるやらないを、ワクワクする気持ちを抑えて、意味のあるなしで判断しているなら惜しい。無意味なものも、突き詰めれば意味を深める。それは、「なぜ生きるのか」という問に近い。意味を求めすぎてはいけない。もともと、意味などないのだと割り切ろう。

変える、変わる

人は、言葉だけでは動かない。いくら、こうしてほしい、ああするべきだと、説き伏せても、その身近な人は変わらない。なぜなら、たとえ頭で理解できても、想像しているものが変わらないからだ。

想像しているものは、その人が信じていていること。つまり、その人の意思といってもいいだろう。逆に、その想像を変えることができれば、人は一瞬にして、変わることができる。

そう、”変える”ことはできなくても、”自ら変わる”ことへ導くことはできる。そのためには、ただ”伝えること”。解釈や価値感を押し付けようとすることは無意味だ。

そのひとに、”伝える”ために必要なことは何か?エネルギーを電波するように、気付かせるには?”気付き”を与えるために、出来ることは”示す”こと。

その”示し”が直接的なことでなくとも、それによって、エネルギーの方向性が変わればOK。たとえば、前向きな姿勢を導くためにできること。身の回りの整理整頓から始めてみる。あいさつや声かけから始めてみる。

相手を変えることにフォーカスせず、自分が理想とする部分にフォーカスしてみる。とかく、大きな成果を出している、企業や人物の背景を注意深くみてみるといい。きっと、こうした取り組みを垣間見ることができるだろう。

変化から感じ取る

駅に向かう通路が工事で通行止めになっている。その通路は、メインといっていいほどだったので、ほとんどの人が、普段通らない迂回路を通る。つまり、一気に人の動線が変わったといえる。

しかし、その迂回路を通っていて、とても、残念だなと感じることがあった。「迂回路にある店舗が、その新しい人の動線を利用していない」こと。実店舗にとってみれば、人の動線は非常に重要な要素。

普段、そこを通らない人を新規顧客として、取り込むための大チャンスだ。それも、広告費用を全く使うことなく。しかし、どの店舗も、「何もしていない」。いつもどおりの店構えでたたずんでいる。

昨今の経済状況の中、売上げが伸びて、うれしくない人はいない。目の前のチャンスは、最大限に利用すべきだ。この大チャンスに、行動を起こせていないことを、とても、残念に感じてしまった。

「自分には、関係ない」そう感じることも、少し心に留めてみる。少なくとも、自分に係わる環境の変化が、自分にとって、全く関係がないということなどない。

少しの環境の変化が、違う要素を引き起こしているかもしれない。そういったことを感じ取れること。これまでも、これからの時代も、重要な要素と考えていて間違いはないだろう。

無料のコーヒー

クライアント先に行く前に、時間によっては、駅前のマックに立ち寄ることがある。コーヒーを飲みながら、このコラムを書いたりする。いつものようにマックにいくと、何やら騒がしい。

それは、コーヒーが無料で提供されていたためだった。本当は、コーヒーだけでよかったのだが、それだけではなんなので、アップルパイを頼んだ。この心理状態は、まさに「返報性の法則」だ。

人は、人から何かをされるとお返ししたくなる。そういった心理状態のことをいう。スーパーの試食コーナーにいる優秀なマネキンは、この法則を充分に活用している。話しかけ、反応すれば多く与える。

この見極めとバランスが絶妙ならば、売上げは、必然的に上がっていく。今回のマックのコーヒー無料キャンペーンは、広告効果の高いキャンペーンになるだろう。

実際、僕もテレビ局にマイクを向けられた。(インタビューは断ったが)黙っていても、ニュースで流してくれる。返報性の法則で、実質的出費はそう多くは無い。

いつの世も、優れたキャンペーンは、こうした深層心理をうまく利用してきたものだ。商品力だけでは、商品は売れない。「人」を理解することが必要だ。

日本の未来

人の上に立つというのは、未来を見据えて行動しなければならないということ。生活が苦しければ、現金が欲しい。だから、「現金を配る」では、安易すぎる。生活が苦しい人でも生活できる世の中を作る。

そのためにするべきこととしてはいけないこと。安い労働力を入れれば、一時的には業績は回復する。そして、一見景気は回復したかのようにみえる。しかし、永い目で見れば、それはマイナス。

その場しのぎのツケは、とても大きい。そこまでを見据えた対応が出来なければ、リーダーになる資格はないといえる。たとえば、最低賃金が安い。だから上げる。子供でも、発想できる安易な対応。

企業は、これではやっていけないから、失業率は、さらに増加していって本末転倒。一般の人の考えが及ばないレベルで、仕組みを改善できるから政治の意味がある。誰でも、ゴミ捨て場が自分の家の前にあるのはイヤだ。

だから、ゴミ捨て場はなくしましょう。これでは、何の解決にもならない。今、政治を選択するということは、「日本の将来を選択する」ということ。

今の自分たちの生活に対する影響よりも、むしろ、将来の子供達のための選択だ。マスコミは、自分達の既得権益のために、自分達にとって有利な報道をしているものだ。真実を見極める目、自分自身の判断の目を持とう。

語られていない部分に目を向けてみることだ。政治としてやらなければならない、外交や防衛について確認してみることだ。平和な日本では侵略などという発想はない。しかし、国が変われば文化も思想も違う。

思想的侵略、経済的侵略、政治的侵略、軍事的侵略。こうしたシナリオを実践されていたとしたら、今の日本は、太刀打ちできず取り込まれるだろう。そして、それがジワリジワリと進行しているとしたら。

これを食い止めることができるのは誰か。逆に、これを推進する危険性があるのは誰か。自分達の価値観ではなく世界的価値観で、日本をどうするのかを考えているのは誰か。日本は、今岐路に立っている。

大袈裟でもなんでもない。台湾の状況を見れば理解できる。「そんなことは、あるわけない」それは、お人よしな日本人の平和的発想。一般人が考えも及ばないリスクや危険性。それに対応する責任を持つのが政治だ。

後で、こんなことになるなら・・・と後悔しても遅い。自分で考えて選択するときだ。それも、将来のことを見据えて選択するときだ。子供達に日本の明るい未来を託したい。そう願ったとき、何を選択するか。

今、必要な情報を自ら選択し、判断する必要がある。うまい話にのせられて騙された人たちを、多くの人は、「騙される方が悪い。自業自得だ」という。「自分だけは」、と過信する前に、今、情報を選択し、自ら判断を下そう。

決められない決断

ある決断について、考える過ぎるということは、別の言い方をすれば、固定観念に頼ることだ。固定観念は、いつも正しいとは限らない。むしろ、自分の枠を超えるような、大きな決断には、邪魔だといってもいい。

経験に育まれた観念に頼ったとき、そこに選択肢がなければ、思考はストップする。つまり、「行動しない」という決断しか行き着かない。「考えすぎる」ということは、つまり、こうした要素を含んでいることになる。

自分が、ある決断に対して、「考えすぎているな」と感じたら一旦手放してみる。世の中には、いろいろな人がいるし、実際に、いろいろなことが起こる。

それを、すべて今までの自分の経験の枠の中から、正解を見つけ出そうとすること自体に無理がある。往々にして、そういった場合は、ふと湧き上がってくる、直感の方が正しいものだ。

たとえ、誰かに相談したとしても、本当の答えは、自分の中にしかない。それを、うまく引き出してくれる人が、本当に相談するに値する人だ。自分の価値観の押し売りをする人の助言は危険。

大切な決断をするときにこそ、自分自身を信じることの大切さを認識しよう。「直感は、いつも正しい」多くの成功者が、口を揃えて言うように、これくらい言ってみても構わない。