安全装置

どんな生物にも必ず組み込まれている本能がある。それは、安全装置という本能で人間も例外ではない。安全装置の基本的な使命と動きは、「明日も、今日と同じであることを実現する」こと。

今日が、どんな状況であれ、今日一日を生きながらえたという事実がある。明日も「安全に」生きながらえるには、「今日と同じ状況にあることが最も安全」という思考。これによって今の状況が、どんな状況であっても、本能は、「状況が変わる」ことに抵抗感を覚える。

本人の望む望まないに係わらず。たとえ辛い仕事であっても、「変わること」を選択せず、文句を言いながらも続けることを選択してしまうもの。幸せになれる結婚を目前に、なぜか、ブルーになってしまうマリッジブルーがある。これらの動きも安全装置のなせる業。

本当に望んでいることであるはずなのに、知らず知らずのうちに、それを避けてしまう。変わりたいのに、変われない理由が、ここにある。でも、変わる必要性と欲求があるのならば、変わるための対処法を行う必要がある。それは、「安全装置をごまかす」ことから始める。

「変化」を「変化」として認識させないこと。その望んだ状況が、今と同じだと錯覚させることだ。脳は、現実とイメージの区別が付けられないという。だから、欲しい結果を具体的にイメージすることは、安全装置をごまかすことにも有効に作用してくれる。

具体的にイメージする意味は、ここにもある。望んでいたはずなのに、気持ちが乗らなかったり、不安になったりしたら、「安全装置」の仕業を疑ってみる。その「不安」の理由を探そうとするのではなく、腑に落ちるまで、理想のイメージを描いてみよう。

理想の自分は、「当たり前の自分」。それは、特別ではなく、今までの自分と同じ。まるで、許可を与えられたように、自然と一歩を踏み出せることが出来るだろう。

こだわりと執着

「こだわり」というのは、エネルギーを与えてくれる。たとえ見た目が同じであっても、そこに「こだわり」があれば、違う印象を与える。その印象の違いが、表面化し結果に現れる。結果の違いが、なぜもたらされたのか。

一見、何の違いもなく、理由が判らない。「こだわり」には、そういった力がある。一方、似て異なるものに「執着」がある。「執着」は、エネルギーの「摩擦」を生み出す。自分自身の内面だけではなく、外部に対しても、その摩擦は広がっていく。

本来、うまくいくものであっても、摩擦のエネルギーが、物事を停滞されていく。「こだわり」と「執着」。その違いは、どこにあるのか?「こだわり」は、内面が湧き起こってくるエネルギー。一方、「執着」は外面を起因として起こる。

内面からのプラスのエネルギーに対して、外面に振り回された結果としての負のエネルギー。ベクトルが異なるエネルギーが、全く異なる結果を導き出すのは自然の理。何かに「こだわっている」と感じたなら、「こだわり」か「執着」なのかを冷静に観察してみよう。

「執着」を捨て、「こだわり」に徹することで、自分のペースを取り戻すことができるはずだ。周囲の変化を期待するのはやめよう。完全にコントロールできるのは、自分自身しかない。

ネクタイの意味

ネクタイにどんな意味があるか?ビジネスマンにとって、当然のようなアイテム。その機能性、実用性の部分を見ても、ネクタイ自身に実用性があるとは思えない。しているだけで暖かいわけでもなく、ハンカチ代わりになるわけでもない。

どちらかといえば、息苦しいくらいで、出来ればしたくないアイテムではないだろうか。しかし、そんなネクタイであっても、きちんとした意味が、そこにはある。「ラポールを築くためのアイテム」。

ラポールとは、互いが安心して交流するための、信頼関係が成立している状態のようなもの。その安心感の根底にある感情は、「自分と同じ」であるということ。出身地が同じであれば、急に打ち解けるように、共通の事柄は、多ければ多いほど関係を築くのは早い。

スーツにネクタイという共通のスタイルは、第一印象から狂わせることを最小限にしてくれる。そういった意味合いで、ネクタイは有効だ。ちなみに、相手の仕草のマネをするミラーリングも、相手の潜在意識に共通事項を認識させるテクニック。

何気ない日々の行動も、意味が持たせれば、その行動に変化をもたらすことができる。そのわずかな変化の積み重ねが、結果を大きく違わせることは、決して少なくない。

リーダーとしての役割

うまくいかない組織やチームでは、役割と責任が明確になっていない場合が多い。特に、リーダーが、自分の役割を理解せず、一定の成果を求めるだけのチームは辛い。

人には、それぞれ価値観が違い、求めているものも違っていて当然。それが異なることを嘆いたり、黙っていても理解してもらおうとするのは間違い。相当の超能力者で無い限り、それは出来ない。

「リーダーは、ビジョンを示す」と言われるが、ただ、紙に書いて示すだけでは、もちろんダメ。知る→理解する→納得する→共感するメンバーには、このプロセス踏んでもらう。共感を得てこそ、初めて「期待した行動」に繋がる。

そのためにリーダーが行うべきことを考える。チームの求めることも、そこに係わる人も、それぞれで異なるから、その方法も異なって当然。リーダーは、まずビジョンに合わせて、このプロセスを「うまく」行う方法に徹する必要がある。

「どうして、判ってくれないのか?」その理由は、簡単なこと。適切に「伝えていない」からにすぎない。起きる問題の根本的な原因のほとんどは、コミュニケーションにあるといっていい。ただ、そのコミュニケーションのとり方にコツがある。

そのコツとは、「常に相手の状況を理解する」こと。理解した上で、共感までのプロセスに取り組む。そして、お互いが歩み寄るために必要なこと、目的を達成するために必要なことは何かを考えること。

チームの成功には、技術力は二の次。まず必要なのは、チーム力を最大限に発揮できる、地盤を固める「意思の統一感」を作り上げることだ。

責任を持つ

世の中には、大きく分類して2種類の生き方をする人たちがいるという。ひとつは、自分の夢を実現する人。そして、もうひとつは他人の夢の実現を支援する人。どちらの生き方も、とてもすばらしい生き方だ。

ただ、残念なのは、他人の夢の実現を支援する立場にあって、不満を抱いている場合だ。そもそも、不満や愚痴の出所は、自分の無責任さの中にあるもの。自分の身の回りの出来事は、どんな些細なことであれ、自分で選択したこと。または、自分で選択できることだ。

その権利を横において、不満を口にするのは、自分の選択に責任をとっていないことになる。この責任を取らない状態が、結果的に、自分自身を不幸な生き方にしてしまう。身の回りの出来事において、すべて自分の責任として受け止め行動する。

これが、充足された生き方をつくる。「7つの習慣」のコビー博士は、このことを「自分の輪の中に取り込む」と表現した。自分の意思と選択で物事を進めていけば、自然と不満や文句はでなくなる。

たとえ、他人の意見に賛同した場合でも、賛同したのは自分であり、自分の責任だ。意思を持って選択すれば、物事は、自然と自分の思い描いたとおりに動く。不満や愚痴が口に出てきそうになったときは、自分が責任を取れていないことに気付くことだ。

そして、自分の責任を確認して納得してみる。その結果として、自分の欲しい結果のために、次にどうするべきかが見えてくる。人生は、エピソードの積み重ね。そして、そのエピソードのひとつひとつには意味がある。

見えない未来のために犠牲にすることなどひとつもない。そのエピソードを活かすも殺すも自分次第。責任の取り方ひとつで決まることなのだ。

バイオリズム

今の自分の状況は、どんな状況なのか?自分のバイオリズムがどうなっているのか。占い師に頼む必要はない。簡単にその傾向を読み取ってみる。20歳以降の、毎年のイベントを書き出してみる。

就職、配置換え、結婚、別れ、転職、etc。そのイベントを3年周期でくくってみるとしたら、どうくくれるかを考えてみる。なんとなく、3年で区切りが付いているように、感じられるイベントを見つけることができるだろう。

次に、その3年区切りに「名前」を付けてみる。学び、成長、試練、飛躍、etc。ある傾向で、それが移り変わっているのが判る。そして、次に現在を見てみる。そういった見方をしたとき、今はどんな傾向だろう。

それは、あとどれくらい続くだろうか。学びの2年目であれば、あと1年、何を学び何を得るかを意識する。試練の1年目であれば、あと2年の試練をどう切り抜けるかを想定する。「石の上にも3年」とは、うまくいったものだ。

無意識に、3年というスパンで物事が動いている。もうひとつの見方は、その3年を3つにくくり、9年周期で大きな流れを感じ取ってみる。人生は、決して楽しいことばかりではない。しかし、大きな目的と方向に向かって進んでいるもの。

その大きな流れを掴むことで、様々なイベントに一喜一憂する必要はなくなる。バイオリズムは、自分を慰める手段ではない。今の状況を納得して、次へと繋げるためのもの。それを理解できるようになれば、すべては、ベストで予定通りといえるようになる。

ありのまま

子供が子供らしく生きることができない世の中。そんな話を聞いたことがある。その理由は、子供が子供らしくあることを、許可しようとしない大人の社会にあるという。子供は、未熟であって不完全であるもの。

それを受け入れたくない大人たちのエゴ。そのプレッシャーは、時に子供を葛藤に追い込む。「ありのままの存在自体に価値がある」ことを、胸を張って伝えることができない大人たち。なぜなら、自分自身がそう感じ得ないから。

その主たる原因は、「今」に生きていないことにある。過去に悩み、将来に不安を抱きながら生きる。そこから、力強いメッセージは生まれない。何か行動を起こすことができるのは、「今」しかないという、当たり前の事実。

しかし、散歩という時間でさえ、意識は、過去や未来に行き、「今」にはない。今、足を踏み出していることに、歩いている自分自身に、意識をむけてみよう。「そんな無駄なこと」と感じるかもしれない。しかし、他のことにどれくらい意味があるだろうか。

そもそも、人間の考えうる範囲に意味の違いなどない。どっちもどっち、大した差などないはずなのだ。それよりも、「今」に意識を向けることの方が、はるかに意義があり、大きなことだ。なぜなら、今の積み重ねが、未来を作る。未来は、それ以外に作る方法はない。

悟りの境地は、「今に生きる」ことにあるという。一見、意味のないようにみえる「今」に、意識を傾けてみることにしよう。きっと、「ありのままでいい」ということに、気付くことができるだろう。

そして、未来を築く子供たちにも、そう伝えることができるようになれるだろう。

本音

物事の事象だけを捉えると、判断を誤ってしまうことがある。物事の事象が発生した経緯には、必ず、「人間の感情」というものがある。その事象の元になった感情というのは、ありのままの姿で表面化することの方が少ない。

形を変え、主張を変え、別の姿で現れる。「言葉の裏を読む」ということではなく、「その事象が本当に訴えたい本質を掴む」こと。なぜならば、人は本音を語れない場合も多い。建前と本音が常にそこには存在する。

本音の部分は、指摘されたくない部分であったり、公にはいえない部分であったりするもの。その本音の部分を指摘することなく、その本音を部分を汲み取ってあげること。人間関係の悩みは、評価への不満や、自分の目標に置き換えられて表面化するもの。

商品やサービスへのクレームは、判ってほしいという感情が表面化するもの。事象に対して、ただ「反応」するだけでは、本音の部分を汲み取ることは出来ない。「言われたことをしているのに、なぜ、あの人は怒っているのか?」その理由は、本音の部分にある。

切れた電球を早く替えて欲しいと急かされ、取り替えても、妻の機嫌は良くはならない。本音は、電球を替えて欲しいことではなく、自分の位置づけを確認したいから。「替えたんだからいいだろう!」この反応は、状況をもっと悪くする。

反応する前に、少し考えよう。その事象の「本音」が何なのかを。

最適なもの

人生は、欲しい結果ばかりを与えてくれない。自分にとって、「最適なもの」を与えてくる。だから、ベストな状態でない場合は、その方向ではないことを示してくれる。なんど受験しても失敗する。就職活動も、うまくいかない。

なぜ、人生は、自分に対して、こんなに厳しいのだろうか。そう感じることもあるだろうが、実は、そうではない。そっちの道は、最適ではないということを、示してくれているにすぎない。「人生は、欲しいものばかりを与えてくれるわけではない。

人生は、常に最適なものを与えてくれる」軌道修正するタイミングを何度与えられても、それに気付くことができなければ、最後には変えざるをえない状況にもなる。本来、自分がいるべきではない会社。

幾度と無く、転職のタイミングがあったが、一歩踏み出せなかった場合など。最終的にリストラや倒産という形で、「変わる」ことになるかもしれない。どんな状況が目の前に現れようと、それは、本来の自分の道を示すもの。その信頼が、本来の道を見つけやすくする。

この考え方が、真実かどうかなどを議論する必要はない。都合のいい解釈かもしれないが、それが、人生にとってプラスならOKなのだ。ただ、残念ながら、どんな人に対しても、この解釈が当てはまるとは限らない。そのためには、常に自分の状態を良くしておく事。

人を憎んだり、妬んだりしてはいけない。どうしても、うまくいかなったときは、状態を良くして、自分に問いただしてみる。「本当は、どうするべきなのか」その答えは、目の前にある事象に、応えていくことから始まる。

損得ばかりで、判断してはいけない。自分の方向を見つけるのは、善悪の判断基準。良心に尋ねてみよう。きっと、最適な答えを返してくれるに違いない。

簡単な道

簡単にできる器に入れることができるのは、入るモノも、入る量も、それなりのものにすぎない。逆に、苦労して作り上げた器に入るものは、その質も量も計り知れない可能性を秘めている。

今、もし自分自身が苦労して、成し遂げようとしていることがあるならば理解すること。「自分が今、苦労しているのは、大きな事を成し遂げようとしている証拠」作り上げられることは、そこに注がれた熱意や情熱に比例する。

潰れたラーメン屋を買い取って、新しくラーメン屋を始めることは簡単なこと。そこには、必要なすべてが揃っている。しかし、そこに「自分だけの何か」を加えなければ、導き出される結果は、たかだか知れている。

そして、往々にして「自分だけの何か」を、築き上げることは、決して簡単なことではない。時間がかかることに躊躇してはいけない。簡単な道を、安易に選択してはいけない。その覚悟と勇気がないのならば、そのチャレンジは、無謀なチャレンジとなる。

結局、ヤケドして痛い目にあうことになる。そのような相談を受けたとき、必ずその覚悟を確認することにしている。「できるからやる」では、うまくいかない。「ちょっと、やってみようかな」は、怪我のもと。「やる理由や、やりたい理由」が覚悟の度合いを決める。

簡単にできそうだからやってみようという動機ならば、もう一度だけ、見直してみる機会が必要だ。時間やお金や労力を無駄に費やすほど、人生は、暇ではない。