さんまと引き寄せの法則

明石家さんまの話。18年程前、彼の原作と主演で、ある短編のドラマが作られた。「世にも奇妙な物語」の中で、放送された、その話は今も興味深い。それは、自分が思ったことが、現実に実現してしまうという男の話。

さんま自身の実体験からきているという。欲しい結果が、いつもそのとおりになるという、話を聞いたディレクターがドラマ化を申し出た。思ったことが、現実になる。今で言う「引き寄せの法則」だ。

さんまは、それを知らず知らずに実践していた。そして、もうひとつ興味深いのは、彼自身の座右の銘だ。「生きてるだけで丸儲け」この言葉の意味と真意は、生きているだけで感謝に値するということ。

この気持ちが、多くのものを引き寄せ、現在の彼を築いてきたのではないだろうか。今の自分は、不満ばかり言ってはいないか。そう感じたなら、つぶやいてみよう。「生きてるだけで丸儲け」一見、ふざけたようでありながらも、この言葉の意味は、とても深い。

成功とは、プロセスである

人生の成功が、充足感や満足感ならば、結果を手にしたときよりも、過程が成功となる。夢に向かって一生懸命になっている人。たとえ、まだ掴んでいなくても、それは成功だ。

子供が、クリスマスのプレゼントを開ける前や、旅行に行く準備や過程が、最も充実しているようなもの。手にしてしまえば、そのときを頂点として、満足度を表す曲線は下降していく。

それを手にした事を、後悔をし始めたり、それが正解だったと裏付ける理由をさがしたりする。その時点では、もう成功とはいえない。だから、新しい目標を設定して、歩き出す必要がある。

多くの成功者が、目標を達成しても、決して立ち止まってしまわない理由はこれだろう。今がたとえ辛くとも、目標に向かっているなら、その人生は、すでに成功しているといえる。

人生の目標は、結局のところ「何を得たか」ではなく、「どういう人間になったか」であることからも理解できる。成功とは、目標達成までのプロセスである。自らの力で、何事も成そうとしない人たちの無責任な批判や、中傷に応える必要などない。

殻を破って次へ進む

人事を尽くして、天命を待つ人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない(広辞苑)この真意は、神頼みではない。とにかく、精一杯やること。いい加減さ出さず、出来る限りの力を注ぐこと。

しんどくなってくると、諦め感も出てくる。そこで、もう一頑張りしてみる。そして、もうひとつの真意がある。そうして出来る限りのことをしたとしても、その結果として、「うまくいく保障はない」ということ。

今の努力の結果が、人生全体にとって、正解かどうかはわからないもの。たとえば、ある会社の面接に失敗しても、その次の会社の方が、結果としてよい場合もある。天命とは、そういったものだ。だから、そのもの自体の結果には拘らない。

精一杯すれば、その結果がどうであれ、自分の人生にとっては、プラスになる。ただ、適当に努力せず、諦めると、その天命を受けることはできない。要するに、次のステップには進めず、同じところを繰り返すことになる。

もし、もうひとつ殻を破れないと感じているなら、努力の方向性が間違っているのかもしれない。人事を尽くすべきこと。それを見直してみることだ。

トライアード

スポーツ選手などが、類まれな集中力を持って、驚くべき結果を導き出すことがある。ゾーンとも呼ばれるそういった状態。その状態は、一体如何にして作られるのか。集中力にフォーカスされることが多いが、実際には、それだけでは結果は伴わない。

必要なのは、無意識で行われる技術と、それを達成できるというセルフイメージ。そして、意識を集中させる集中力だ。ピアノを弾くには、両手と足を同時に動かす必要がある。それを意識的に動かそうとすると無理がある。

練習や訓練によって、それは無意識にできるようになる。そして、自分には人に感動を与える力はないと思えば、演奏は、それなりのものにしかならない。しかし、練習によって無意識の技術を高めていても、本番で、演奏に集中できなければミスをする。

この集中、無意識、セルフイメージ。この3つのバランスが、結果を導き出す。そして、そのバランスが取れた状態がトライアードだ。今の自分に不足している要素は何か。

たとえば、本番に結果が出せない熟練者に必要なのは、セルフイメージの向上だ。がむしゃらにやるだけでは結果はでない。とにかく、バランスが大切なのだ。

セルフイメージのズレ

目標設定とセルフイメージの関連性は、高い。目標設定の仕方を誤ると、本来、欲しい結果とは異なる結果となる場合もある。たとえば、85キロの体重を70キロにしたいと思う。15キロの減量が必要なので、目標を、「15キロの減量」と設定する。

当然、努力が必要なので、運動や食事制限で、15キロの減量を達成できたとする。目標達成はしたが、セルフイメージの中では、「15キロの減量」という目標は消えない。15キロ減らし続けることは、生命維持を脅かす。

だから、また「15キロの減量が出来る状態」に戻ろうとする。つまり、俗に言うリバウンドだ。正しい目標の設定の仕方は、「15キロの減量」ではなく、「70キロの自分のイメージ」。

その成功のイメージが目標であれば、70キロの自分は、当たり前になり維持できる。目標とセルフイメージのズレは、ストレスを生む。どちらが先とかはない。ただ、バランスよく高めていく必要がある。

負けるな

まっとうな方法では、超えられない。そう感じてしまう壁にぶつかってしまう。長い人生、そういうこともあるだろう。しかし、ここで逆の見方をしてほしい。そして、気付いてほしい。

「まっとうな方法で超えられない壁は、長い人生では、実は大したことがないということ」ぶつかって、倒れて潰れても、それは、決してマイナスにはならない。ほんの短い間の「出来事」だということ。

人生とは、「何を得たか」ではなく、「どういう人間になったか」が評価されるもの。たとえ、そこに「失う恐怖」があったとしても、そこで失うものなんかは、たかだか知れている。周囲の意見は、断片的な事実だけで、語られることが多いもの。

つまり、とるに足らない。成功のための失敗というのは、必ずある。失敗がなければ成功はないとしたら、失敗をあざ笑うものも気にはならない。失敗しないことが、「強さ」では決してない。自分に勝つことだけを見つめることができること。

「強さ」とは、そういうことだ。様々な局面で、自分の「強さ」が試されている。「何を得たいか」改め、「どうありたいか」。そして、もうひとつ重要なことがある。人生は、何度でもやり直す機会を与えてくれる。

過ちは、「弱さ」の表れ。「弱さ」を認めて、強くなること。勝負に負けても、自分に負けるな。

運がいいとか悪いとか

運がいいとか悪いとか。運の存在を否定するか。そして、自分が運を引き寄せたいと思うか。それは、全くの自由。もし、その運を操っている人がいるとしたら、それは、神様のような存在かもしれない。

そして、神様に認められ運を得るためには、何をしなければならないだろうか。その答えは、神様は、「人間を自分に似せて作った」という点にある。とても、単純な話だ。とても、つまらない仕事がある。しんどいだけで、面白くもなんともない仕事だ。

そこに、文句や愚痴ばかりいいながら、仕事に取り組む部下がいたとする。そして、もうひとりは、ひたむきに素直な心で、一生懸命に仕事に取り組む部下がいたとする。「どちらを応援し、助けたいと思うか」神様は、ひとりひとりの中に宿っている。

だから、運を与えるのも人だというのが真実。自分の目の前の事象には、必ず二つの側面がある。「愚痴を言える側面」と「感謝できる側面」。たとえば、残業を頼まれたとき、「何で俺が」とふてくされることもできる。

一方で、この経済不況の中で、「自分に期待してくれるありがたさ」に感謝もできる。これが、ほしいものを得る運を掴む絶対的な原則は、「現状に感謝することにある」といわれる理由。とても、単純なことだ。

「文句ばかり言う人は助けたいとは思わない」「ひたむきに努力し、感謝する人は助けたいと思う」運がいい人というのは、ただ、その点に尽きる。

騙しのテクニック

いろいろな騙しのテクニックが存在する。それは、まるでイタチゴッコのように、次から次へと現れ、ある種感心させられてしまう。そのテクニックの根底には、人間の心理的な部分を捉えたものが多い。罪悪感、不安、愛情、恐怖感、etc。

軽微なセールステクニックから犯罪まで、その使い方や悪質さも、様々だ。騙されないために必要なことは、騙す方がそうするように、まず相手を知ること。しかし、人は、自分中心に考える思考を基本としている。

相手の視点に立って物事を考えることは、意図して行わない限り、なかなかできるものではない。「相手の立場を知る」この取り組みは、ひとつの自己防衛でもあるし、固定観念や余計な思考を防ぐ効果もある。儲け話があるならば、なぜ自分はやらないのか。

なぜ、そうするのかを考えるようにする。パチンコ攻略法を販売していた業者の元社員は、その戦略と手口を、こう証言していた。「パチプロ集団として、パチンコで稼いでいたが、機種メーカーの対策で、稼げなくなった。

だから、過去の実績を盾にして攻略法を売ることを考えた。実際には、攻略法は『作り物』の部分もあったが、『攻略法を買う人は、楽して稼ぎたい人』。攻略法自体を難しくすれば、諦めてしまうもの。

それでも、苦情を言ってくれば、会社に呼んで、改造された機種で証明してあげる。それで、ほとんどの人は納得して帰り、それあと、文句や苦情はいってこないもの」この説明の中には、様々な要素が盛り込まれている。不況が続くと、いろいろな「話」が出てくるもの。

それに手を出す前に、まず上の話を思い出してみる。当てはまる部分があれば、再考が必要だ。「真っ当さ」を見つめること。王道に裏技はないし、時間がかかるもの。そこから目をそらしていては、掴めるものも掴めない。

受け取るもの

自転車を知らない人に乗り方を教える。まずは、どういったものか乗ってみせる。そして、その仕組みを教えてから乗せてみる。始めは、安定しないから補助輪を付ける。そして、片方を外してみる。

うまくバランスが取れるようになれば、もう片方の補助輪も外してみる。はじめは、うまくいかず転倒することもあるだろう。嫌になって、辞めたいといいだすかもしれない。でも、そこで諦めなければ、乗れるようになる。

そして、その楽しさを知るようになる。ブレーキや電灯、カギをかけることを教えて、最後に、公道におけるルールや注意事項を教える。これで、いよいよ自転車デビュー。

この自転車デビューまでの流れのように、その人の状況に応じて、与えられることは変わる。競輪が魅力的だからといって、いきなり競輪場に繰り出させるのは命取りだ。必要なものは、必要な状況によって与えられる。

「運」というものも、これに似ているように思う。世の中の仕組みや人間を知る。その中で、生きていくということを知る。自然の摂理の偉大さを知り敬意を示す。ひとりで生きているのではないことを知る。自分という人格や役割を知る。

こうして、必要なことを学べぶことで、必要なものは、次々と与えられる。腹立たしいことも、実は小さなことと知る。他人と自分の違いをわきまえ、妬まない。文句や愚痴は、自分を蔑むことと知る。

自分次第で、受け取るものは変わる。気持ちよく、風をきって走り出そう。

新しいもの

新しいものは、次から次へと出る。新しいものを生み出そうとしたとき、多くの場合、間違ってしまうことがある。本当に、「新しいもの」には、次の2つの法則があるように感じている。

1.新しいものは古いものをさらに完成させたもの。2.完成させる過程で、よりシンプルになる。「シンプルになる」とは機能やモノが、新たに追加されるのではなく削除される。

生み出した「新しいもの」に、奇を衒う傾向があり、何かが追加されているようなら、古いものには勝てない。もうひとつ、新しくはないが生み出されるものがある。

それは、古いものへの解釈や情熱を、製作者自身のコンセプトで昇華させたもの。一見、奇抜さはないが、人は製作者のコンセプトや情熱に共感する。その場合、余計な説明は不要だ。

むしろ、その背景を語った方が伝わる。新しいものに飛びつく傾向がある人を、イノベーターやアーリーアダプターと呼ぶ。彼らは、本当に新しいかどうかの見極めや評価をし、マジョリティ(多数)まで、浸透するかどうかのカギを握る。

自分の判断基準を持って望むなら、おそらく、その人はイノベーターだろう。イノベーターの意見をいち早く確認するなら、おそらく、その人はアーリーアダプターだろう。

一般的にいいという噂が広がるまで、手を出したくない保守派ならマジョリティだ。どの位置にいればエライとかはない。心がけたいのは、「自分の判断基準」を持つこと。

それが、他人にどう影響するかとか、どう周囲から見られるかとかは全く関係ない。結局、自分の意思を持つものの前に道はできる。