これは、どんな意味があるのか。この答えは、何なんだろうか?この問いかけの姿勢には、2種類がある。ひとつは、固定観念に囚われないため。そして、もうひとつは不安から逃れるため。
しかし、固定観念に囚われない質問の答えも、不安から逃れるための答えも実は同じ。意味などない。意味があることを追求し始めると、行き着くところは、食べて寝るという行為。それ以外は、極端に言えば意味が無い。
そう考えれば、世の中意味のないものばかり。究極的には、不要なものばかりだ。本当に意味があるものの定義を、生存ということだけではなく、意義としたとする。
その意義でさえ、数々の無意味さの上にあって、ようやく、その意義というものがみえてくる。そう考えれば、無意味なことにも意味はある。「意味がないという意味がある」ということになる。
喜びと怒り、陰と陽、明と暗。物事には必ず対極するものがある。そして、対極するものがあるからこそ、もう一方の存在がより明確になっていく。
やるやらないを、ワクワクする気持ちを抑えて、意味のあるなしで判断しているなら惜しい。無意味なものも、突き詰めれば意味を深める。それは、「なぜ生きるのか」という問に近い。意味を求めすぎてはいけない。もともと、意味などないのだと割り切ろう。
