永い間、いろいろなものを見てくると、○○的というモノの見方が、身についてくる。たとえば、リンゴを描いてみれば、いつかどこかで見た「絵に描かれたリンゴ」を描いてしまう。
小説を書いてみれば、いつか読んだ「小説的」表現を書く。こうした行動の根拠になっているのは、「こういうものだ」という観念によってもたらされる。特に、芸術の分野には、その傾向が顕著になる。
絵とはこういうもの、小説とはこういうもの、ロックとはこういうもの、歌詞とはこういうもの。こうした「○○的」な表現方法には、一見、それを「それらしくみせるチカラ」がある。
しかし、それは、どこまでいっても模倣にすぎない。そこに、斬新さや新しさはなく、そして感動も生まれない。本来、芸術や美術は、個性が表現されるもの。個性とは、オリジナリティそのもの。
「○○的」な模倣は、どこまいっても模倣。そうした見方で、世の中を見回してみると、感動をよぶ芸術の類が、芸術たる所以が垣間見える。
もし、その「○○的」な芸術をかぎ分けられないなら、学習や経験が乏しいか、よほど毒されていないことになる。すでにあるものをしっかりと学び、それを破らないまでも、オリジナルを目指してみる。
それは、はじめは何のことか理解されないかもしれない。しかし、そこにこそ新しいものの種がある。自分の中にある「○○的」表現を脱ぎ捨てよう。
