あらゆる事象は、中立だという。そして、実際にそうだといえる。たとえば、リストラされたことに意味はない。それを「失業した」とうなだれて落ち込むか、「これで好きだった仕事ができる」と思うか。
つまり、事象に対して、自分がどう感じるか。それが、良いとか悪いとかであって、その事象そのものに意味はない。しかし、感情というのは抑えられないときがある。そうはいっても辛いものは辛い。
時間が解決してくれるとわかっていても。それが、本当は自分とって幸運なことでも、そのときには、最悪な気分もある。事象が中立であることはわかるが、そこで、ほしい感情だけを選ぶのは難しい。
それは、感情を押し殺すことでも、湧き上がった感情を拒否することでもない。感じたことは感じたこと。その感情をそこにおいたまま、ひとつ上の視点から感情を眺めてみる。
ああ、辛いんだ、悲しいんだ。それを、充分に「理解」してあげたなら、それがなくても、達成できることを「感じてみる」。たしかに、それだけがすべてではないはず。
他の手段や方法や考え方はいくらでもあるはず。すると、その「考え方」に制限がないこともわかる。つまり、もともと制限や条件などなく、ほしいように考えたいように「感じる」ことができる。
制限や条件があったように感じたのは、実際は、そうでないことを気付かせるためだった?たしかに、そうかもしれない。世の中で、完全コントロールできることは唯一つ。
自分の感情だけだ。それができれば、自分の外の世界を、完全にコントロールしていることに繋がる。
