過去の偉人達に共通することは、「それでも、諦めなかった」ということだ。何度失敗したとしても、それを失敗だとせず、成功の糧としてきた。企業家であれば、破産回数は1回に留まらない。
政治家であれば、何度も落選する。学者であれば、ダメレッテルを貼られる。それでも、諦めなかった人たちが、後世に名を残す偉業を成し遂げてきた。「だから、諦めてはいけない」誰も否定することがない成功哲学の王道。
しかし、そんなありきたりなメッセージだけを、この場で伝えたいわけではない。偉人たちが、他の人たちと決定的に違ったのは、ただ、「諦めなかった」ということではない。「諦めなかった」理由は、もっと他にある。
それなくして、「それでも諦めない」という熱意は生まれない。それは、「諦めきれない目標を持つこと」。この大前提のステップをなくして、「それでも諦めない」という熱意は生まれない。
「諦めきれない夢」ただ、今、それが見つかっていなくても、それは、決して「平凡な人生」ということではない。「夢を実現することが人生」という定義があるなら、その人生の定義を変えてしまえばいい。
「人生とは、諦めきれない夢に出会うこと」。そう考えたとき、自分の行動の選択肢は、どのように変わっていくだろうか。遅すぎるということは、決してない。
カーネルサンダースがフライドチキンを売り歩いたのは、無一文になった60歳を超えてからだった。それから、千回以上断られている。
ただ、自分探しの旅に出る準備をしているなら、旅立つ前に、少し身の回りを注意して見回してみよう。「諦めきれない夢」は、未開の地にあるのではない。それは、往々にして自分の足元に転がっているものだ。
