グズグズすること

「サッサと行動しないで、グズグズする」これは、代表的なダメな態度として知られている。しかし、僕は、一概にそうだとは思わない。実際に、すぐに行動を起こさないということが多々ある。

何でもかんでも、すぐに行動に移すのは、ある人にとっては正解だし、ある人にとっては不正解。その違いにあるのは、直感。直感に基づく行動は、すぐに行動するべき。そうでない場合は、腑に落ちるまでやらない。

これが、僕の行動規範。「腑に落ちる」とは、感覚的に受け入れられる自然な状態。心の底から「イエス!」と響く状態。だから、たとえ頭でやらねばと感じたことでも、腑に落ちなければ、行動に移さない。

そして、経験上そういうときに限って往々にして、別の選択肢や状況が現れ、結果としてその方が良かったとなる。「すぐに行動しろ!」成功哲学では、至極一般的なセオリー。

しかし、その条件まで言及しているものは少ない。絶好のタイミングと条件を待っているのだとしたら、グズグズすることは、決して悪くない。そういった感覚を養うにも、「釣り」という遊びは最適だと感じている。

なぜなら、結果が早いし判りやすく、小さな成功体験を積み上げるには最適だからだ。グズグズするな!と言われたら、自信を持って、「まだタイミングが違います」と言う。

グズも意図した選択ならば、価値があるものになる。

有言実行

目標を達成するための方法として、有言実行というのがある。目標を、公言して後に引けなくする方法。それによって、継続できるというものだ。果たして、この方法はうまくいくだろうか。

実は、僕はできるだけ目標は公言しない。なぜなら、公言した方の弊害の方が大きいからだ。言うことによって、まず夢が義務になる。いうまでもなく、義務になることのメリットはない。

また、達成しようとする夢が大きければ大きいほど、悪気はなくとも、周囲はそれを引きとめようとするもの。このように、夢を公言することのメリットは極めて少ない。

そもそも他人の視線を気にしなければ、達成出来ないような目標や夢なら大した夢じゃない。どうしても、何があっても実現したいからこそ、夢というものや目標は叶うもの。

夢や目標がホンモノであればあるほど、公言する必要など全くないはずだ。そんな安っぽい約束事で、夢や目標を縛り付けてしまうのはやめよう。目標や夢をやたらめったら公言しないこと。

公言していいのは、心から夢を応援してくれる人、心から成功を願い、共に喜べる人にだけだ。はっきり言っておこう。有言実行は、夢を達成することには向かない。

それは、義務や責任を与えられたものが、その責務を果たしたときに言われること。有言実行よりも、「決断」。夢や目標は、自分の心の中にあるだけで、十分達成するだけの力を持ち合わせている。

行き詰まりの対応

ものづくりに携わっていると、様々な技術的な問題や予期せぬ障害にぶつかる。そういったとき、解決の糸口を信じ、知識、経験、情報を集結し試行錯誤を繰り返す。しかし、それでも、解決しないことがある。

ただ、いえることは、「不可能でない」ということ。全く新しい技術開発を行うこと以外で、うまくいっている事例が、現実に存在する。だから、出来ないはずはない。そう意気込んで取り組むが出口がみえない。

そういったとき、焦る気持ちを抑えて、試行錯誤の過程を、一度手放すことが賢明だ。実際に、そうやって手放すことで、ある日突然、解決策が降ってくることがある。

全く別の件の打ち合わせの中に、答えを見出せるヒントがあることに気付く。今まで気付かなかった視点での確認を思いつき、それがきっかけになって一気に解決する。そういったことが実際に起こる。

だから、行き詰ったときは、散々試行錯誤して、一旦手放すことだ。その答えが、一年後なんてことはない。経験上、数日以内には解決するものだ。ただ、大切なことは、「諦めない」こと。

きっと、その答えがあると信じ、自分が、その答えを見出せると感じること。それも、あたかも当然のごとく、答えが見つかるという感覚を感じること。

「手放す」ということは、言い換えれば、「執着しない」ということ。ちょっと、休憩。でも、きっと大丈夫。あとは、感性にまかせて行動を起こすだけだ。

ゼロをイチに

ゼロからイチにすることは、イチをサンにすることよりも難しい。ゼロからイチにするということ。つまり、それは、「仕組みを作る」ということ。

仕組みが出来て動き始めれば、あとは、慣性の法則が働くように動き始める。この「慣性の法則」が働くことを称して、「楽に結果が出せる」という場合がある。

この「楽に結果が出せる」というところだけに、フォーカスしてしまってもうまくいかない。なぜなら、ゼロをイチにすることが、最も、困難で労力を伴う部分だからだ。

だから、仕組みを作るところで挫折する。「もっと楽なんじゃなかったの?」と感じる。イチからサンは、勢いまかせ。しかし、ゼロからイチは、そうはいかない。

車が走り出す際にも、始めに最もエネルギーが必要なように。仕組み作りは、決して楽ではない。だから、はじめから覚悟しておく。楽して結果を出している人が周りにいるなら、よく観察してみるといい。

その人は、「仕組み」を持っているはずだ。そして、その「仕組み」は、真似し難いもの。ゼロをイチにする覚悟を決める。そして、一歩を踏み出したら、やり続ける。あとは、「慣性の法則」を生かすだけ。

ここまで、辿り着ける人は、わずかだという。多くの人は、それまでに諦めてしまう。必要なことは、ゼロをイチにする覚悟と決断。その瞬間に、すでに道は決まるのだろう。

くるくる

車の片輪の動きを止めると、車は、その場でくるくると回り始める。その様子は、行き詰って焦っている、自分の様子に、当てはめることができる。何かをもたらせば、何かを失う。

そう感じていることは、多いかもしれない。仕事の為に、家庭を犠牲に。仕事の為に、趣味を犠牲に。しかし、実際には、そんなことはない。この生贄的な発想は、逆に物事を滞らせる。

一生懸命に頑張っていはいるものの、なぜか、うまくいかないことが次々に起こる。空回り感と虚しさ疲れに、ふと包まれる。この状態は、ちょうど片輪の速度が遅く、くるくると回っている車のようなものだ。

欲しい結果は、すべて同時に手に入れる。そのための計画を立て、実践していく。多くを望むことは、罪ではない。そこに罪悪感は、一切必要ない。

むしろ、すべてをバランスよく満たすことが、全体をまっすぐに進めるチカラとなる。「これをやるから、これはなし」これは、根拠のない思い込みや観念に過ぎない。

まずは、今の世ででは、余計で重たいだけの、その鎧兜を脱ぎ去ることを始めよう。そして、両輪をバランスよく回転させ、チカラをまっすぐ前に振り向けよう。そうすれば、もっと楽に辿り着けるだろう。

順序

楽しそうな人をみて、楽しくていいなと思う。幸せそうな人をみて、幸せでいいなと思う。そして、自分も、もっと幸せならば、もっと、笑顔でいられるのに、と思う。でも、真実は逆だという。

幸せだから、笑顔でいられるのではなく、笑顔でいるから、幸せになれる。ポジティブ思考の原点は、ここにある。つまり、物事をいい方向に考えることが、ポジティブ思考だということではない。

それを、行動にまで持ち上げること。楽しいと思うならば、それを実感して表現すること。ポジティブ思考でも、うまくいかないと感じるのは、この、あともう一歩踏み込んだ取り組みがないため。

物事は、常に中立である。それ自体には、いいも、悪いもない。それに意味を与えるのは、いつも、それを受け取った人の価値観。人間、万事塞翁が馬。何が幸で、何が不幸かなどは、そのときどきの場面だけではわからない。

この教えは、はるか昔から変わらない。だったら、いい方向に捉えた方が幸せだ。たとえ、この世が、あと一ヶ月だとしても、その一ヶ月間を、悩み苦しみながら過ごすか。それとも、残りの人生を謳歌して過ごすか。

どちらも、同じ一ヶ月だ。人は、必ず死を向かえる。であれば、残りの期間をどう過ごすことが賢明か。あれもよし、これもよし。何はともあれ、笑ってみるか。

自分の尺度

「諦めきれない夢」に出会う旅。それが、人生の目的のひとつだと思う。早い段階で、そうした夢に出会えたなら、それほど、幸せなことはない。

しかし、多くの人は、本当にしたいことを、探しながら、日々の生活を送っている。「成功の秘訣は、諦めないこと」これに異論はない。故に、諦めきれない夢に出会えれば、成功は、約束されたようなもの。

だから、成功の法則を語るならば、まずは、「諦めきれない夢」との出会い方。それが、まず第一にあった方がいい。ときどき、苦しみながら、迷いながら、これが夢だと思ってしまうことがある。

そういうときは、それを実現したときの、自分自身のイメージを描いてみる。そこで、リアルな感情が起こらないようであれば、それは、本当にしたいことではないかもしれない。ただ、それは決して無駄ではないだろう。

その過程が、次のステップに必要だから。諦めきれない夢を持ったとしても、そこには、悩みや、苦しみはあるだろう。不安と安心は、表裏一体だから、それと同じだけのワクワクを感じられればいい。

今、追い続けいているもの。それですら、本当の夢かどうかは判らない。ただ、今、この道に全力を尽くせば、また、違う道も見えてくることもあるだろう。

「人生は、何を得たかではない。どういう人間であったかが重要だ」。こうした過程は、常に自分に、どういう人間でありたいかを問いかける。そして、人生いろいろ。分野も活動の場もいろいろ。

カーネルサンダースは、自分のカフェを追いやられ、チキンのレシピを売り歩いた。他人は、カフェという夢を諦めたと思ったかもしれない。しかし、彼は、それとは違う夢を描いていた。

龍馬が、脱藩したとき、土佐勤皇党は、逃げたと失望した。しかし、龍馬は、彼らとは違う夢を描いていた。「世の人は、我を何とも言わば言え。我為すことは我のみぞ知る」。

他人の尺度に振り回されなくていい。過去の偉人達の残してくれたものは、それでいいのだと思い出させてくれる。

使えるロードマップ

ある目的を達成しようと始めたことに対して、ある日、ふと気付くと、手段に傾倒していることがある。いつまにか、手段が目的に変わってしまう。

この「すり替え」は、無意識に行われ、手段が明確であるゆえ、麻薬のようなもの。ゴルフは、健康とストレス解消のために始めた。気付けば、シングルになるための苦悩とストレスの毎日。

デカイサカナを釣りたいと願っていた。気付けば、それを釣るための道具を使うことに拘っていた。業務を効率化するために改善を始めた。気付けば、ITシステム化することが目的になっていた。

手段というのは、いつも具体的だ。だから、漠然とした目的を追うよりも判りやすい。人は、どうしても具体的でわかりやすいものに、自然と傾倒していってしまう傾向は否めない。

だからこそ、「立ち返り」が必要だ。そして、立ち返りのために、「目的の明確化」が重要だ。それは、手段のひとつではないか。本来の目的を見失ってはいないか。それを、定期的に見直す機会がほしい。

どういった状況が実現したいのか。そのときに、自分は何を感じていたいのか。それを、言葉で明確に表すならば、どう表現することができるだろうか。

その活動に名前を付けるとしたら、どういった名前が適切だろうか。一見、無駄に思えるこうした作業こそが、近道を示すロードマップになることを忘れてはいけない。

リアルなイメージ

脳は、イメージしたものを実現するという。そして、そのイメージの「意味」は、関係ない。つまり、イヤなイメージも、いいイメージも、イメージとして見れば同じだということ。そして、そのイメージは、実現される。

であるならば、いいイメージだけを持てばいい。それだけのことであるはずなのに、難しい。いいイメージを「意図的に」描きながら、実は心底は、悪いイメージを持つことがある。

欲しい結果が実現できないでいる場合は、ほとんどが、このパターンであるという。では、どうすれば、心底いいイメージを、自分の中に作り上げることができるのか。その方法が、「感情を乗せる」という方法だ。

頭の中に作った、いいイメージに、そのイメージの中の自分が感じるであろう感情を被せる。感情は、自分にとっていつもリアルだ。だから、感情を乗せることで、そのイメージは、リアルにある。

うれしさを感じながら、悲しいイメージはできない。悲しさを感じながら、うれしいイメージはできない。人間は、感情の生き物だから、感情を常に、リアルの基準として生きている。

欲しいイメージが具体的ならば、それを手にしたときの感情を感じてみる。それが、脳への「正しい」信号の送り方だ。意味は、頭で考えるのではなく、感情で与える。それが、本当のリアルな自分なのだから。

アクション会議

具体的に見えていないから、不安に感じるということがある。その不安を解消するために、やみくもに、情報収集したり行動を起こす。それが、状況を余計に混乱させる場合もある。問題や課題というのには、特徴がある。

それは、「本質が見えれば解決したも同じ」。つまり、何かうまくいかない状況などに、直面した場合は、いきなり解決策を模索しない。まずは、その問題の本質を見据える。

ある事柄に対する要件が不明確である故に、漠然とした議論や取り組みになっている。本来の目的と取り組みの整合性が、見えなくなってきている。何が判らないのか判らない。これも、列記とした本質のひとつ。

本質を見極めていけば、ある課題が、その他の課題の中心にあると気付く。つまり、様々なタスクが輻輳する中においても、そのプロジェクトの課題は、数個に集約される。

その中心的課題というのは、往々にして、「誰も手につけたがらない」ものであることが多い。要するに、「判っていて見て見ぬ振り」をしている。そして、それを明確にした時点で、問題は解決に進む。

アクション会議の場においては、こうした観点を持って取り組むことが賢明。ただ、なぜだなぜだを繰り返しても無駄だし、「何が問題だ」と問い詰めても、答は出てこない。

それが、判っていれば、対処は出来ているはずだ。それよりも、本質を見抜くことに注力する。それは、何かのちょっとした不整合だ。第三者の俯瞰的視点が、それを見つけやすい。

会議を責任追求の場にしても始まらない。こうした視点が、プロジェクトをレールに戻していく。