食生活

永い間、感情が行動を決めてきたと言われてきた。気分が乗らないから、肩を落とす。不安で一杯だから、ふさぎこむ。しかし、真実は逆だという主張がある。身体の動かし方が感情を決めているという見方。

楽しいから、笑顔になれるのではなく、笑顔を作ることで、楽しくなれるということ。三次元の世界に生きる人間の活動は、すべて、身体を動かす行動によって生み出される。

身体の状態を、最高の状態に保つことは、感情をも豊かにしてくれ、毎日を幸せにしてくれる。身体の状態を作り出しているのは、食生活と運動に他ならない。

現代社会の食生活では、少し気を許すと、身体の状態を阻害する要因が流れ込んでくる。塩分、糖分、たんぱく質、炭水化物の過多。これらの取りすぎは、細胞を干からびさせる。

それが、数々の病気を引き起こす要因になる。さらに、肉などの消化の負荷の高い食材は、身体から、エネルギーを奪っていく。元気をつけるための焼肉。骨を強くするための牛乳。

蔓延している、こうした誤解から身を守るために正しい知識をつける必要がある。原則は、簡単だ。人間の身体は、細胞の塊で出来ている。そして、細胞の80%以上は水分だ。

浸透圧の授業を覚えているなら、何が細胞を干からびさせ、何が必要かは判る。怪力の持ち主のゴリラは、何を主食としているか?ゴリラは、焼肉を食べたりしないし、その必要もない。

自然は、いつもシンプルで、明確な答えを示してくれている。心理状態が不安定なら、まず食生活を見直してみる。身体の状態を最高にして、笑顔を作ってみよう。

手段の意味

欲しい結果を得るための方法や手段は、想像以上にたくさんあることは知っているだろう。その手段の中で、最も自分にとって適切な方法。それを選択できるセンスを養うことが大切だ。

それは、他人の方法を単に真似るだけではダメで、自分自身をより理解できているものだけが知りえる。多くの人は、自分のことを知っているようで知らない。自分を知るには、一番いい方法がある。

それは、他人からのフィードバックに焦点を当てること。自分には何を期待され何を応えれば、周りの人は、喜び感謝してくれるだろうか。それに気付き、それを目的に出来れば強い。

あとは、自分にあった手段を選ぶだけだ。ただ、ここでも人はミスを犯す場合がある。いつまにか、手段が目的になってしまう。そして、大きな目的、つまりビジョンを見失ってしまう。

たとえば、英語を習得することは手段だ。目的は、英語で会話し価値を生み出すことなのに、英語を話せるようになることで満足してしまう。

ITやそれに伴う仕組みは手段でしかないのに、達成したい価値を忘れて仕組み作りが目的となってしまう。健康やストレス解消のために始めたゴルフが、スコアばかり気になり、ストレスとなっては本末転倒。

節約したいと、50円安いティシュを買うために、バス代を100円余計に払ってまで出かけてはいけない。目的とは、ビジョンだ。どんなときでも、ビジョンを心に思い出すようにしよう。

「一日は時計に従い、一生はビジョンに従って生きる」手段が目的となってしまっていることがあれば、もう一度、ビジョンを思い描きなおしてみる。

何か行き詰っていることがあるなら、新しい行動パターンを生み出せることだろう。

学習のスピード

昨今では、物事のスピード感は驚くほど速い。なんでも、すぐに、早く。逆に、物事が廃れていく速度も速い。一昔前は、1ビジネス30年が寿命といわれたが、今では、3年が寿命だといわれている。

こうした現状の中で、速さを求める側に立ってばかりいると痛い目にあう。昨日までの同じ事をしているのに、気付けば、自分が取り残されてしまっていることもありうる。

そんな状況に、自分の身を置かないためにも、学習するスピードも高めなければならない。学習というのは、「勉強」という意味ではない。あらゆる経験から得る、経験値といってもいい。

学習のスピードを上げるだけはよくない。それは、単に本を読むスピードを上げることに近い。より効果的に、価値ある事を学ばなければならない。その最も効果的な方法とは、「厳しい状況を選択する」こと。

人は、厳しい状況の中で学んだ方が、より多くのことを、より速く学ぶことができる。自分を学ばせてくれる状況を合えて選択する。最高のリスクヘッジだ。

現実的に、仕事も、プライベートも、厳しい状況は、付き物かもしれない。学べば投資。学ばなければ、ただの苦労。今、逆境に立たされているならラッキーだ。

より多くのことを学び、成長している最中なのだから。

自分を受け入れる

理想とする自分に一歩踏み出せないでいる。そんな状況にある原因のひとつ。それは、「今の自分の受け入れられない」こと。向かいのビルの屋上に行きたい自分がいる。そして、飛び移れないでいる自分がいる。

飛ぶ移るだけの体力も運動能力も無い。そのための飛行機を借りるお金も無い。失敗すればまっさかさまに落ちる。だから、諦めるしかない。今の自分には、できっこないことだから。

「自分を受け入れる」ということは、「今の自分がベストである」と認めること。事を成すには、時間がかかるもの。一ッ飛びに得られるものではない。

しかし、今すぐに飛び移れないことで、その資格すら持ち合わせていないと錯覚する。今のベストな自分にできること。それは、まず一階に降りること。階段で降りてもいいし、エレベーターもある。

たとえば、向かいのビルの入り口では、関係者以外お断りということで入れないかもしれない。次は、一緒に入れる人を探すことだ。上に行くためのエレベーターは有料かもしれない。だから、始めは階段で登ることから始めてみる。

しばらく上ったところで、荷物を持つ代わりに同乗することを提案する機会を与えられるかもしれない。そして、ようやく屋上に辿り着くまでに、10年近い歳月が流れているかもしれない。

しかし、自分を受け入れ行動しなければ、未だに、向かいのビルで諦めている自分がいる。楽でないことを「諦めの理由」にしないこと。時間と労力を惜しまないこと。

今の自分はベストだ。今の状態がどうであれ、そこから始められる。必ず前進の糸口は、どこかにあるのだから。

偽りの尺度

様々な価値観は、様々な尺度を生む。それらの価値観の中で一般化されるのは、保守的な最低限の最大公約数的要素である場合が多い。

会社選びの原則は、給与、休み、福利厚生である。お金を増やすには、株や不動産への投資である。こうした価値観は、決して間違いではないが、それだけでは人を幸せにはしてくれない。

それ以前に大切な価値観があるにもかかわらず、「偽りの尺度」によって、行動の成否を測ろうとする。自分の意思から導かれる価値観。それなくしては、決して満たされることはない。

それは、自分にウソをついているようなもの。「偽りの尺度」で納得するための理由を作っている。今の自分の判断が、「偽りの尺度」かどうか。その基準は、それが「損得」か「善悪」か。

損得勘定だけの選択基準は、本当の意味での自分の目標を遠ざける。善悪に基づく判断は、一見遠回りのようでいて、結果的には、目標到達への近道である場合が多い。

保守的であることは、決して悪くはないが、自分へのウソは、必ず見直す機会が与えられる。それに気付けない場合は、幾度となく、その学習の機会が与えられる。だから、結果的に遠回りになる。

あちこちに氾濫している「偽りの尺度」より、自分自身から湧き出る「真実の尺度」を優先する。自分のやりたいことを仕事にする。自分に投資することの価値を知る。

その一見、非効率に見えることこそ、本当の価値を計るための尺度となる。

「夢」は叶わない

夢は、叶うか?その夢が、幻想や妄想であるうちは、それが実現することはないだろう。夢が、幻想や妄想である特徴は、そこに具体性が欠けていること。

その実現イメージや期日、計画が伴えば、それは、「夢」ではなく、「目標」になる。それを、頭に思い描くだけではなく、スケジュール帳に書き込むことが賢明だ。

それを手帳に書き込むことで、それを「予定」にすることができる。「予定」とは、当然のように訪れること。それは、実現して当然の出来事。明日、会社に行くために電車に乗ることは、自分自身にとって目標だろうか。

それは、「予定」だ。寝坊、腹痛、電車の遅れ。その予定を狂わせようとする「リスク」。様々な「リスク」を無意識に回避して、いつもの電車に当たり前のように乗り込む。予定には、「当たり前に実現する力」がある。

金メダリストと銀メダリストの違いのひとつ。それは、「予定」にしているかどうかだという。彼らにとっては、金メダルを獲って当たり前。それは、目標ではなく、すでに実現したイメージ。

朝会社に行くように、当たり前のように実現する。「夢」を「予定」にしてしまう力は、偉大だ。夢を夢のままにしておいては、実現は程遠い。具体的な期日や計画を、スケジュール表に書き込む。

そして、それが当然訪れるかのように振舞う。「成ろう」とすることは、「そうではない自分」を確認し、「そうではない自分」を実現する。予定にするには、「成る」ことから始めてみる。

スケジュール表を当たり前のように埋めて、「夢」を「予定」にしてみよう。

最高の助言者

行き詰るということがある。あらゆる考えられる手を尽くしても、打開できる兆しが一向に見えてこない。焦る気持ちは出てくるし、諦めや自棄になる気持ちも出てくる。

溜め息を漏らしていることに気付いたら、一旦、手を離してみる決断をしてみよう。それから、まずはこう自問してみる。「今、自分がやろうとしていることは、果たして、今まで誰もなしえなかったことだろうか」

この質問に対するほとんどの応えは、NOだろう。過去、そして未来においても、今やろうとしていることを、実現できる人はいる。だから、可能である。こう確認できたら、次は「全く別のこと」を始める。

一旦、手を離して思考部分も切り替えてみる。景色を眺めてみる。別の作業を始めてみる。リラックスできることをやってみる。行き詰って、狭くなった視野や考え方から離れ、物事を俯瞰して整理する機会になる。

手放してから、数十分も待つことなく、解決の糸口が湧き出てくることも珍しくない。必要以上の執着や固執は、往々にして良い結果を生み出してはくれない。行き詰まり感は、執着のサイン。

左脳における論理思考のオーバーヒート。そこで、右脳にバトンタッチ。右脳は、左脳の思考範囲に囚われず、あらゆる経験や知識から情報を導き出す。右脳へのバトンタッチは、リラックス。

一旦、その問題から離れることが先決だ。リラックスしている場合ではないことも、焦る気持ちも理解できる。勇気を持って、一旦手放す。最高の助言者からのアドバイスを、受け取らないという手はない。

資料の作り方

情報の記憶には、イメージが適している。イメージそのものには、膨大な情報があり、また、イメージ同士の関連性で情報を進化させることもできる。

人に何かを伝える手段としての言葉は、それ自体、非常に優れている。しかし、言葉には、必ず「理解」という過程が必要だ。人の脳は、情報過多にならないように、不要な情報を受け取ろうとしないようにする。

内容の理解できない話は、眠気を誘う。脳が、その情報の受け取りを拒否しているのだ。これも、また、脳の生存機能のひとつだろう。つまり、理解の過程を必要とすれば、それだけ、受け入れるための障壁ができる。

だから、イメージで伝えることの重要性が増す。はじめにイメージで伝えておけば、まず、脳はそれを受け入れようとする。それに対して、言葉が要素を補足すれば、そのこと自体への理解は、深まっていく。

ただ、言葉や文字は、誤解を避けるためには、とても有効な手段であるといえる。だから、言葉での説明は欠かせない。しかし、それだけでは明らかに物足りない。

例え話やことわざが過去から現在まで、脈々と語られたのは、説明以前にイメージがあったから。人に何かを伝えたいと思うならば、まず、イメージ(全体像)を伝えることだ。

それから、誤解がないように言葉で補足する。文字ばかりの資料では、半分も伝わらない。そして、文字のない資料では、誤解を生む。資料は、作ることが目的ではない。伝え理解してもらい、共感してもらうためだ。

このことをしっかりと理解して、右脳と左脳に与える情報のバランスを考える。話は早く、結果も早い。そんな楽しい時間の使い方をしよう

計画を立てる

人間の生き方を大きく大別すると、2つの種類に分けられるという。自分の夢を実現する人。他人の夢の実現に貢献する人。夢を実現するための絶対的法則がある。

「夢は、ひとりでは実現できない」夢を実現するためには、必ず、誰かの協力を得る必要がある。他人の夢を実現することに協力することは、決して悪いことではない。また、自分の夢を実現する上でも大切なことだ。

しかし、自分の夢を実現するという決意が無ければ、そのほとんどの労力は他人のために費やされる。自分の夢も他人の夢も実現する。そのために必要なことは、自分の意思で自分の計画を立てることだ。

自分の計画を立てないということは、他人にスケジュール表を手渡すことに似ている。他人に自分の計画を立てられてしまう。これらは、ストレスや不満という症状で表面化する。

目の前に起こることに、「反応」するだけの生き方は、他人に人生を預けていることと同じこと。意思を持って選択することを始めれば、物事は、自然と自分の計画で進めることになる。

人生の漂流人になってはいけない。他人の意思に流される漂流人から脱却し、オールを手にして自分の意思で漕ぎ始める。そのためには、明確な目標設定と、それを実現するための計画が必要だ。

意思を持って選択しよう。その覚悟と責任は、その言葉の印象に反して、気持ちを自由にして、楽にしてくれる。計画にないことは実現しない。とても、シンプルで明確なことだ。

本番でのご法度

練習することの重要な意味のひとつは、本番でベストな状態を引き出すことだろう。練習や努力の仕方の重要性が説かれる一方、本番における取り組み方も重要だ。

最も大切なことのひとつは、「本番の中で、修正を試みないこと」だ。本番は、練習ではない。そもそも、修正する場ではないのだ。たとえば、ゴルフコースに出たときの過ちは、スライスする弾道をラウンド中に修正しようとすることだ。

わずかな限られた機会の中で、修正を試み成功を得ようとすることは無謀なこと。もし、その日スライスする特徴があるならば、それを受け入れゲームを組み立てる方が得策だ。

これは、あらゆる分野に適用できる考え方。練習の目的は、状態をベストな状態にすることであり、また、不完全な部分を認識し、調整すること。常に、100%にすることがベストではない。

不完全さを組み入れ、組み立てることも必要だ。「本番で、修正を必要としない状態に準備する」準備が、物事の成否の80%以上を決める。準備不足は、不測の事態を引き起こすもの。

もともと人間は、不完全さを持ち合わせている。だから、どんなトップレベルの人でも練習は怠らない。本番をベストに行うためには、準備や練習にこそ、集中し時間を費やす必要がある。

「人事を尽くして天命を待つ」準備の重要性が理解できれば、この言葉の真意が、他力本願ではないこともわかる。「人事を尽くす」とは、「やるべきことをすべてやりとげる」ということ。

あとの結果は、天命を待つに値するのだ。結果がどうであれ、それが天命であれば、それがベストな状態であると受け入れられるはずだ。