舵取り

自分の行動が萎縮してしまう。その要因は、他人にあると「思う」。しかし、実際は、その要因は自分の方にしかない。あの人は、自分をこう思っている(に違いない)。こう思われる(想像)のはイヤだから、こうする。

この思考パターンには、「事実」は乏しい。そのほとんどが、思い込みや想像からきている。価値観そのものが、人それぞれ違うから、事象に対して受け取る認識も異なって当然。「あの人は、東大にいっているからスゴイ」。

これもまた、東大という価値の受け止め方。価値感というのは、時代と共に変わるし、文化や社会情勢によっても変化する。バブル期、証券会社は花形だった。アイツは、○○証券に就職できてスゴイ。

しかし、バブル崩壊後は、その○○証券は、倒産してしまった。他人の価値観や一般的価値観などは、所詮は、その程度のものでしかない。たとえ、○○証券に勤めていたとしても、自分の価値観であれば何も問題はなかっただろう。

その後も、自分の価値観で、それを糧として、自分の道を切り開いていくことができる。しかし、他人の価値観で乗っかった人にとっては、こんなはずではなかったと感じてしまっただろう。

「他人の価値観に乗る」ということは、別の言い方をすれば、「他人に人生を預ける」こと。それが顕著に現れるのは、問題にぶつかったとき。

「会社が、こうだったから、自分はこうなった」「あの人に従ったから、自分はこうなった」こうした言い訳が付き物になる。今の判断は、他人の価値観か自分の価値観か。そして、その自分の価値観は果たして正しいのか。

将来、見苦しい言い訳をしてしまうことになる前に、自分の人生を、自分で舵取りする決断をしよう。他人の価値観や思い込み、想像だけで、今という貴重な時間を無駄にすることは止めにしよう。

理想の人

作家が、新しい作品を書くとき、登場人物の具体性がモノをいうときく。だから、人物設定の際に実際の人物を、重ね合わせることで、具体性を持たせていく。キャラクターが出来上がれば、あとは設定の中で、自由に動き始める。

多くの人に印象を与える、よい作品というのは、そういった具合に出来上がると聞いたことがある。一方、自分の理想とする将来像を描くとする。もちろん、登場人物は自分だから、基本的には、今の自分の延長線上にある自分。

ただ、それがまったくの理想どおりかは別だ。今の自分の延長では、大きな夢は描けない。それは、「できそうなこと」の範囲で、思考され描かれた結果として描かれるだろう。実際、それでは何も変わらない。

夢を描くことに、条件をつけるならば、まずは、「その方法が判らないこと」だろう。どうすればできそうかという方法が、判ってしまう夢は、正直いって小さすぎる。どうすればわからない夢を、完全に描ききることにロマンがある。

そのとき、途方もなく感じるならば、まずは、理想の誰かを設定してみる。しかし、自分は、決してその人にはなれない。そこで、もうひとり違うタイプの理想の人を設定する。

まったく違うふたりだけれども、そのふたりには共通した魅力を感じられればいい。そのふたりをイメージの中で、重ね合わせる。もちろん、自分の理想の解釈を入れ込めばいい。そうして出来上がった「人物」が、理想とする姿。

その新しく描かれた理想の人は、今の自分からは想像もできない状況かもしれない。それでいい。その人が常に、自分の中にいる。その人の視点を持って、常に共に行動する。

たとえ、今、具体的な方法は判らなくても、たったそれだけで、今まで見えなかったことが見えてくる。その「理想の人」のなりきること。まずは、そこから始めてみよう。

お金と信用と投資

損得勘定で判断するということが、日常生活の中では、よくあることだろう。実際のところ、損得勘定というのは、本当に、得をする考え方なのだろうか。

そのもの、損得の基準は金銭に絡む場合が多い。それは、その対価が短期的でなくとも、中長期的に金銭的なものの見返りを期待する。しかし、逆にいえば金銭というものほど、危ういものはないともいうことができる。

お金というのは、そもそもひとつの取り決めに過ぎない。1万円の価値の信用が、あの紙にあるということ。金の取引を基本としていた時代では、こうした信用という概念はなかったという。「金」という限られた資源以上に取引量をする必要性から、「お金」という「信用」に置き換わって実際の価値を上回った。

しかも、その信用とは、自分の力の及ばない部分。その価値判断は、刻々と変化を続けている。そう考えると、1万円という価値が、現実的に1万円であるのは、「今」のみ。円高が進めば、同じ1万円で買えるものが変わる。

数年後にも、同じ1万円である保証はない。そう考えてみると、やはり自分への投資が何よりも、一番確実だということがわかる。お金が不要だとは思わないし、少なくてもいいとは、思わない。

ただ、お金を人生の中心においてしまうと、本末転倒になってしまうということだ。お金が、人生を作っていくのではなく。人生の結果としてお金がある。だから、損得勘定だけで判断するのではなく、自分自身にとっての善悪で判断する。

今でも、大小さまざまな選択が目の前にある。何か心に引っかかれば、必ず善悪に立ち返る。それは、一見愚かなようでいて、結果として、良い方向に向かうことが多い。

これは、実に単純な理論。価値あるものにお金は集まる。そして、普遍的な価値は自分自身の在り方。結果、自分の価値を上げる投資が、もっとも、効率的で効果的であるといえる。その始まりであり、ベースにあるのが、損得勘定で判断しないことだろう。

無駄な一日

無駄な一日とは、どういった一日だろう。一日中、テレビを観て過ごした一日だろうか。何も成果がなかった一日だろうか。一般的な解釈でいえあ、ダラダラと過ごした日。

そういった一日を過ごした夜などは、「ああ、何もすることなく一日が終わった」と感じるだろう。そして、焦燥感や罪悪感に似たものを感じかもしれない。果たして、何かをやり遂げない一日は、本当に、「無駄な一日」だといえるだろうか。

本当の意味での「無駄な一日」。それは、意図しない一日。つまり、意思なく流される一日が、「無駄な一日」だといえるだろう。逆にいえば、「ダラダラ過ごす」に意思があれば、それは、決して「無駄な一日」だとはいわない。

「今日は、休息。一日ダラダラ過ごすぞ」そう決めておけば、それは無駄な一日ではない。たとえ、ダラダラ過ごしたとしても、その一日は、「予定通りの一日」となる。何か成果を出す。結果を見出す。それだけが、有意義な一日だとはいわない。

「決めて、過ごす」それが、有意義な一日の定義としたい。周囲からはダラダラを非難されるかもしれない。しかし、周囲の見方は自分の人生に関係ない。

周囲の意見や見方(想像)に振り回されることこそが、「流される」ことであり、「舵を他人に預ける」ことになる。自分の意思を表す。そして、舵を取り戻す。今日や、明日をどう過ごすか。

過ごしたいか。それを、自分自身で、決めるだけでいい。

競合

マーケットで優位に立つためにも、自分自身を売り込むためにも、重要なキーワードがある。「差別化」そして、「差別化」を行う上で欠かせない観点が、「競合」の存在だ。競合他社といえば、何を想像するか。

多くの人は、「同じ商品を提供する」他社を想像する。だから、価格やサービスで、競合を凌駕するように考え、努力しようとする。しかし、「競合」とは、一体何なのか?本来、商品やサービスを受ける側の心理に競合がある。

競合とは、提供側都合で語られるものではないはず。つまり、マクドナルドの競合は、ロッテリアだけではない。実際には、ロッテリアとの競合は少ないかもしれない。自分がランチを考えるときを思い出してみる。

「マクドにするかロッテリアにするか、それともモス?」そんな選択肢をもって考えているだろうか。よほど、ファーストフードが食べたければ別だが、実際には、全く異なるものと比べていたりする。コンビニのサンドウィッチとドリンク。

フードコートならば、カレーやラーメン。消費者が、実際に行う選択思考で競合を捉える。お見舞いの花屋の競合は、洋菓子や書籍。DSを欲しがる子供は、PSPと選択を迷うだろうか。確かに、「差別化」は重要な要素だ。

しかし、何と差別化するのかを誤ってはまずい。固定観念だけで判断せず、相手の立場を想像してみる。そして、出来る限り成りきってみること。そうすれば、見えてくることが必ずある。これは、商売をしている人だけの話ではない。

サラリーマンも、サービスの提供者と考えてみる。工場で働くならば、差別化を計るべきは、となりの同僚ではなく、ロボットかもしれない。実際には、競合していない相手に対して、神経を尖らせることほど、しんどいことは無い。

自分は、何と競合しているか。少し、違った考え方をもってみると面白い。

ルール

自分にどんなルールを課しているか。生きることや社会生活に息苦しさを感じているなら、それは、自分に課すルールが多すぎるかもしれない。

上司や家族など、周囲の動きに対して、「こうでありたい」「こうあるべき」と思うこと。それが、自分に課したルール。でも、実際には、そのルールの必要性は低い。誰も、そんなルールを期待していないのが現実。

それよりも、人は、そんな状況に振り回されない、確固たるルールや掟を守る姿勢に共感する。だから、ルールはひとつで十分。「自分自身に勝つ」というルール。たとえば、それだけで十分なのだ。

甘えや、怠惰が顔を覗かせたら、ルール違反。他人の失敗や怠惰に、腹を立てることもルール違反。「自分に勝つ」というルールひとつだけで、ほとんどのことは、うまくいくようになる。

そして、周囲の反応にストレスを感じず、「自分に勝つ」こと以外には、無頓着になれる。そうした、「強さ」を持つこと。状況や環境が、良くないときこそ、自分自身の持つ「強さ」がものをいうとき。

余計なルールは、重いだけの荷物に似ている。その荷物を降ろして、軽快に歩き出そう。

リスクをコントロールする

誰もリスクは、犯したくはない。その理由は、リスクは失敗に繋がる恐れがあるからだ。では、そもそも”リスク”とは、何なのか。”リスク”とは、”制御できないもの”ということができる。つまり、自分のコントロール下にないことだ。

自分のコントロール下におこうとした場合、まず、はじめの要件は、”知っている”ことだ。自分の知らないことというのは、コントロールできない。車を運転することと、飛行機に乗ること。事故率は、圧倒的に車の方が高い。

しかし、車の場合は自分のコントロール下にある。そして、交通ルールと車の運転を知っていれば、そのリスクは、自分でコントロールすることができる。対して、飛行機の場合は、すべてが人任せであり、一度何か事が起これば、自分は何もすることができない。

これは、自分のコントロール下にあるとはいえない。だから、多くの人はリスクの高い車を平気で運転し、事故率の低い飛行機に乗ることを恐れる。つまり、リスクはコントールすることが賢明だし、そのためには、”知ること”が重要となる。

この考え方は、その大小に係わらず、あらゆる側面に適用するできる。すべてを自分のコントロール下において、あらゆるリスクを限りなく低減させるようにしよう。誰もリスクは、犯したくはない。その理由は、リスクは失敗に繋がる恐れがあるからだ。

では、そもそも”リスク”とは、何なのか。”リスク”とは、”制御できないもの”ということができる。つまり、自分のコントロール下にないことだ。自分のコントロール下におこうとした場合、まず、はじめの要件は、”知っている”ことだ。

この考え方は、その大小に係わらず、あらゆる側面に適用するできる。すべてを自分のコントロール下において、あらゆるリスクを限りなく低減させるようにしよう。

本物

ある商品が、市場で流行するプロセスがある。新しい商品が出ると、まずイノベーターが反応する。イノベーターは、当たらし物好きという特徴がある。イノベーターは、比較的少数だ。そして、次にアーリーアダプターの存在がある。

イノベーターの価値観が特出しているのに対して、アーリーアダプタの価値観は、市場との乖離が少ない。だから、アーリーアダプターに受け入れられれば、ヒット商品になる可能性が高くなる。

また、アーリーアダプターは、影響力を持っている。インフルエンサーとも呼ばれ、マーケットメーカーでもある。この兆候が出てくると、同じような商品を出す、あやかりたいという競合が次々に出てくる。

そして、大衆(マジョリティ)に受け入れられると、その商品は、ヒット商品となって市場に蔓延する。多くの他の人たちがいいと言っているらしい。マジョリティは、その感覚を感じ取ってから行動する。

イノベーターが、パイオニア的であるのに対して、マジョリティの人たちは保守的な側面がある。そして、やがて市場は淘汰されていく。商品を買う側の立場として、心しておきたいことが、二つある。

ひとつは、自分が「どのタイプなのか」ということ。そして、自分が買う商品の「素質」を見ること。自分がマジョリティであれば、「あやかりたい商品」を掴むリスクがある。「あやかりたい商品」は、大体「本物」より安い。

基本は、「マネ」した商品なので、素質もそこそこ。「安物買いの銭失い」にならないことだ。「本物」を選ぶことは、結局安いものを買うより固い。「本物」を見抜く目を持つことが賢明だ。

「本物」を見るには、その時期も大切だが、後から出てきたものでも、その背景や信念をみること。経緯や歴史は、「本物」の息吹を感じさせてくれる。「本物」の良さは、素材の良さだけではない。そこに込められるエネルギーが違う。

間違っても、「ニセモノ」は身の回りに置かないことだ。自分自身まで、「まがい物」になってしまう。「本物」の時代。「安ければいい」という時代は終わった。ひとつの時代の流れに乗り遅れないことだ。

プロジェクトマネージメント

プロジェクトを成功に導く要因は何か。一体、何をマネージメントすればいいのか。プロジェクトマネージャーとして、注視するべき要点は、実は2つだけだ。「成果の設定」と「仕事の設計」。

何を実現するのか?その過程の成果は何か?それを実現するために何をいつまでにするのか?ただし、この2つを決めるだけでは、マネージメントをしていることにはならない。あくまでも、この2つを決めることは、大前提。これが無ければ、始まらないというレベル。

大切なことは、「不確実性の考慮」だ。成果を設定しても、仕事を設計しても、そのほとんどは、その予定どおりにはいかない。つまり、不確実なものばかりだ。この不確実性のマネージメントが、プロジェクトマネージメントの真髄といえる。

不確実性に潜むリスクを評価し、適切なリソース配分や対処をする。それらを想定して、仕事の設計を見直す。成果の落としどころを模索する。プロジェクトマネージャーは、予定を作って、管理するだけで終わりではない。

予定通りにいかないことやトラブルの発生で、メンバーを責め立てるのは、無能さを露呈すること。だから、予定通りいかないことを嘆かない。それは、想定の範囲内であると考えることだ。不確実性が、引き起こすリスクは何か。そのために、何をどう準備しておくべきか。

ここでもやはり、ポジティブ・シンキング&ネガティブ・シミュレーションが活きる。人間の行う活動は、不確実なものばかり。「すべては、想定の範囲内なのだ」ということにしよう。

問題への対処法

問題というのは、起こる。多かれ少なかれ、誰でも問題を抱えているものだ。大切なことは、問題に対する姿勢と取り組み。起きている事実は、消すことが出来ない。だから、悔やむよりも「最善を尽くす」こと。

「ポジティブシンキング&ネガティブシミュレーション」物事を好転させていくための基本的な取り組みの姿勢と考え方だ。「問題」というものの基本的性質は、「対処が遅れれば遅れるほど傷口は広がる」ということ。

時間の経過は、選べる選択肢を少なくする。その最も痛い状態なのが、選択肢がなくってしまうことだ。だから、ポジティブな思考に基づいて、ネガティブなシミュレーションを早い段階でしておく。

最悪の事態を想定したとき、その状態を少しでも軽減、回避するためにできることは?「手詰まり」となる状況だけは、少しでも避けたい。起こりつつある「避けようの無い」事実に対して、どうにかしようとして「時間切れ」を起こさないこと。

ネガティブな思考に囚われると、あるはずの打開策に気付かない場合もある。ポジティブに考え、ネガティブにシミュレーションする。最善の答えは、必ず自分の中にある。そう信じて、諦めず前向きに取り組むことだ。