整理

物事を整理することは、明確にすることを意味する。物事を明確にすれば、集中するべき事項がわかる。無駄な事柄に費やす時間を、目標を達成することができる事柄に振り変える。

「敗者は、不安を取り除く行動に時間を費やし、勝者は、目標を達成するための行動に時間を費やす」近視眼的な満足を得るための行動は、大きな成果を生み出す可能性が少ない。大きな目標を見据えて、何をするべきかを考える。

そのためにも、整理が必要だ。一事が万事。身近なところから整理を始めることで、自分自身の状況が明確になり問題点もわかる。米国における富裕層へのアンケート結果では、お金持ちは、家計の細部まで把握しているとある。

一体、自分の生活には何にいくら必要なのか。何が最低限必要なもので、何がそうでないものか。何が入っているか判らない「箱」がタンスの上にある。捨てられない大事なものが入っているに違いない。しかし、その箱が必要なときに空けられるという日は訪れない。

不明確な箱の中身は、無いものと同じ。必要なときに役に立たないことを証明している。自分自身を、この「箱」のような状態にしてはいけない。身の回りから「整理」をし、「明確」にし始めることで、「何」が入っていて、「どう役立つのか」が明確になる。

いきなり、大きな事柄に取り組もうとすると構えてしまう。まずは、身の回りの事柄の整理をしてみることだ。机の中、ファイル、タンス、本棚、タックルボックス、etc。

ひとつひとつ明確にしていくことで、脳がすっきりしていく実感があるだろう。それに快感を覚えたなら、ブレークスルーの日は、そう遠くは無い。

一歩がもたらす差

社会に対する「信頼の約束度合い」が、今の自分が手にしている収入の根拠となっている。会社員であっても、その度合いで役職が決まる。収入を引き上げるには、その「信頼の約束度合い」を引き上げるしかない。そのためには、「証明する」のが一番早い。

自らその約束を証明しないうちから、自分には能力があると主張する人たちがいる。しかし、その多くは、無駄骨になる可能性が高い。給料の範囲の役割や仕事に留まることは、それ以上ができるという証明にはならない。

あと、もう一歩余分に取り組もう。そのわずかな一歩の積み重ねが、いずれ大きな「証明」に繋がっていく。越権行為をしろといっているのではない。取り組む姿勢や視点を一段上に置いてみる。

「仕事として」の取り組みから、「お店として」、「顧客のために」という視点になる。ほんの少しの違いが、周囲の印象に変化を与える。それが、「期待」を生み「証明」する機会になる。言われたことだけを言われたとおりにだけやる。

それは、「周囲の期待」を生み出さない。「期待」と「証明」が共鳴しあって「信頼」になる。この一連の活動は、とても大きな投資だ。お金や株式は、額面の価値しかもたないが、この過程で得る信頼の価値に上限はない。あと一歩、余分にできることに取り組もう。

達成したい目標への道のりが、現時点で全く見えないという状況がある。それは諦める理由になるだろうか。実際に、その道のりが見えたところで、思い描いた通りにいかないことも多い。その「挫折感」が、諦めムードを作る場合もある。

だから、方法が判らないことは、余計な挫折感を感じる必要がないメリットもある。想像できる方法や道のりなどは、高々知れている。事が運ぶときは、ダイナミックに動くもの。想像も出来ない出会いや出来事から動き出す。

やる前から、あれこれと考えすぎるのは良くない。イメージするのは、結果だけで十分だ。そして、その目標に近づくための一歩を踏み出す。その一歩は、とても小さくても構わない。それが何になるのかと感じるかもしれない。

たとえ小さな一歩であったとしても踏み出すことの大切さが説かれる理由がある。その一歩が、次の一歩を示してくれる。理論的な考え方に振り回されないこと。ただ、信頼して一歩づつを踏み出していく。糸を手繰り寄せるように、「出来事」に出会う。

その「出来事」を大切に扱えば、次へ進む。そして、ある日振り返ってみると、そこには想像も出来なかった道がある。「目標までの道のりが想像できるならば、その目標は、小さすぎる」人生は、旅と称されることも多い。思いがけない出会いの旅を楽しもう。

足元を掘り起こす

「現状を打開するために、何かよい方法はないか」こんな相談を受けたとき、相談者のほとんどは、「新しいこと」を期待している。現状を変える魔法のような方法が、まるで本当に存在するかのような期待感だ。しかし、実際にはそんな「魔法」は存在しない。

むしろ、「現状」の中に打開のカギは隠されている。既存客からの意見やクレームを横において、新規顧客を獲得するための方法を模索してみる。過去の実績や成功事例を横において、新しい仕組みつくりや方法を模索してみる。

そのようにして探して見つかる方法に特異性はない。ほとんどが誰にでもアクセスできる情報や方法だからだ。しかし、長年培ってきた土壌から導き出される方法や、そこから得られるアイデアには特異性がある。

「誰にでも、すぐに真似できないこと」がそこにある。それは、地図に記されていない金脈だ。その金脈の先にある宝に目を向けなければならない。たった小数の顧客の意見であっても、新参者がそれを聞き出すためには時間と労力を要する。

この価値に目を向けることだ。対して、目の前にある金脈を無視して、新しいことを探し続けることが意味することは何か。誰かが、同じ金脈を探し当てる前に、その掘り進めた先の金脈に辿り着いておく。

とかく新しいことを始めるには、想像以上にリスクもコストも掛かってしまうもの。まずは、足元を見つめなおして掘り起こしてみよう。

焦点を選ぶ

自由であるということ。その定義は様々だが、自分の状況がどうであれ、全人類にとって、全くの「自由」であることがある。「自分の焦点を選ぶということ」。この自由は、決して誰にも侵されないし、自分がどんな状況であるかも関係ない。

世の中には、平和もあれば戦争もある。景気もあれば、不景気もある。そのどちらに焦点を合わせるかは、その人にとって、全くの自由である。コップの水は、半分入っている。コップの水は、半分なくなっている。状況は、同じであっても解釈は様々。

その焦点の選び方は、行動のあり方を変える。行動のあり方は、結果を変えていく。自分にとって、必要な焦点は何か。それを意図的に選ばなければならない。メディアや情報は、ある特定の焦点で語られる。

悪いニュースの方が、視聴率が取れるからだ。他人の焦点に振り回されてはいけない。自分の焦点は、意思を持って選ぶこと。それは、現代人の必要なサバイバルスキルだ。

タイムワープ

リチャード・カールソンは、「タイムワープ」という技を紹介している。タイムワープとは、問題や困難、失敗を、乗り切るための方法だといえる。その方法は、いたって簡単だ。何が問題にぶち当たったり、失敗したりして、悩み始めたとき、こう考えることにする。

「100年後の世界を考えたとき、今起こっている、このことは重要なことだろうか」つまり、タイムワープとは、100年先に持っていって考えてみること。今、このときから100年も経てば、もちろん自分はこの世にはいない。

そして、残された人たちにとって、今起こっている問題や失敗は大きなことだろうか。おそらく、その問題や失敗のほとんどは、すっかり忘れ去られていることだろう。

「だから、思い悩んでも仕方がない。それよりも、今を大切にすることにしよう」。そう感じるための方法。タイムワープを使えば、こう言える。

「所詮、すべては小さなことばかりだ」。一大事として取り上げるクセをやめよう。出来事に大騒ぎして過剰に反応するのはやめよう。冷静に、平常心で望めば、ほとんどのことは、好転していくものだ。

資産を作る

お金の使い方には、2種類があるという。資産を作るための投資。そして、資産を生み出さない浪費。時間とお金の投資の割合は、人生の豊かさに比例するという。投資によって生み出される資産は、多くの「価値」を生み出してくれる。

しかし、大切なことは、「何を資産と定義するか」ということだ。なにも、株や不動産ばかりが資産ではない。むしろ、その資産の脆弱性は、この不況の中で、証明されたようなものだ。では、資産とは何か。企業であれば、「ブランド」と「顧客リスト」。

「顧客リスト」は、「ファンの人」のリスト。安さだけを理由に購入した人のリストは、ここでいう顧客リストにはならない。ルイ・ヴィトンのファンの人は、安さだけで、他の商品を選ぶことをしない。

ブランドも、顧客リストも、それを築くためにお金も時間もかかる。しかし、それは、とても大きな投資だ。すぐに稼ぎたい気持ちや目先の利益に、囚われすぎると、この観点を見失う。こうした観点をもった上で、時間とお金を投資する戦略を考えることだ。

そして、こうした部分に対して、頭を使い知恵やアイデアを絞るのも投資だ。何にどう投資するのか。それは、個人であっても同じこと。今の自分のお金と時間の使い方が、投資なのか浪費なのか。一度、振り返ってみて、これからの計画を立ててみよう。

そして、大きな「資産」を作り出そう。

永遠に生きるかのごとく

人とは、面白いものだ。いつ死ぬかも判らないという不安を抱きながら、今日という日で、人生が終わることはないと思う。もし、今日一日で人生が終わるとしたら、一体、何をどれだけするだろうか。

こうした問いで問題になるのは、自暴自棄になって破壊行動を起こす不安。もう、終わりならばどうにでもなれという思い。これでは、有終の美は飾れない。いざ、そういう状況になったときでさえ、自分自身を見失わない生き方。

そういった生き方を普段からしておきたい。そのためには、2つの視点の取り組みが必要だ。永遠に生きるかのごとく夢を描くこと。そして、今日で死ぬかのごとく行動すること。大きな夢を実現するために、それに一歩でも近づくために今日すること。

そのことに集中することだ。夢とは、金銭的なことばかりではない。人間的な成長や人との関係も含まれる。「永遠に生きるかのごとく働き、今日、死ぬかのごとく生きよ」こう言残した偉人もいた。

偉大な夢、そして今日出来る行動。その一日の積み重ねが人生を作り上げていく。

2つの感情に気付く

悩みや不安や恐怖。今、何か悩みや不安や恐怖があるなら、その奥底にあるものを注意深くみてみる。するとある傾向があることに気付く。その感情の種類は、様々であったとしても、その根底にあるものは、どれも同じ。

無価値感か罪悪感。根底には、必ずこのどちらかがある。人は、この2つの感覚を感じることで、他人や周囲との関係を実感することができる。つまり、人は、自分の外側にある世界を、自分の感情に結び付けてリアルに感じることができる。

本来、外側の世界は、すべて中立であるという。目の前に起こっていること、それ自体には意味はない。つまり、事象には、必ず良い側面も悪い側面も存在する。そのどちらにフォーカスするのかは自分の選択。

意味を与えるのは、常に自分であり、それが無価値感や罪悪感であれば悩みや不安になる。では、悩みや不安に対する解決法は何か。それは、決して周囲との関わりを絶つことではない。

無価値感や罪悪感を感じる要因は、ほとんど、すべて「思い込み」であることに気付くことだ。「自分は、こう思われている。あの人は、こう考えているに違いない」。それは、勘違い以外の何物でもない。

たとえば、人が他人を批判する場合の理由の多くは、自分の正当性を主張したいことに起因している。決して、他人を批判することが目的ではない。だから、批判された側は覚えていても、批判した側は、それを忘れてしまうものだ。

そして、人を思いどおりにコントールしたいなら、無価値感と罪悪感を利用すればいいという。よく出来た詐欺のテクニックには、この感情が、うまく使われているものだ。必要以上に感情を揺さぶられないこと。

適度に、事象から距離をおくこと。そして、自分の本心で感じることに従うこと。そうすれば、必ず物事はうまくいくはずだ。

がんばらなくていい

人類は、これまでに、ずいぶんと進化してきた。数々の戦争や争いなどを経験し、もう、世界大戦が起きることはないだろう。その進化の、もっとも顕著なことは、物事に対するスタンスの変化ではないだろうか。

物事を成し遂げるには、努力が必要。物事は、根性で、耐え抜いて成し遂げるもの。そうした「常識」によって、それが当たり前だと感じてきた。そして、そうしなければ、罪悪感すら感じてしまう。しかし、現代では、楽しく物事を成し遂げている人は少なくない。

周囲からは、努力家と見えていても、本人に自覚がないことも多い。このことが示している重要なメッセージは、「人生は、頑張りすぎると、より難しくなる」ということだろう。

頑張るという感覚には、様々な捉え方があるが、それが情熱ではなく、忍耐で充満されているなら難しい。情熱的で、楽しい時間ほど、早く過ぎる。そして、生産性も格段にあがるもの。

だから、忍耐で、頑張らなければならない状態は、むしろ、他の選択肢があることを示していると考えてみる。このメッセージは、怠けることを示しているものではない。自分に素直に取り組むことで、物事は簡単になることを示している。

それは、数々の制限と感じていたものが、実は、制限でもなんでもなかったことを示してくれる。自分が、やろう、やりたいと感じたことが、できる可能性の大きさを示してくれる。

それくらい、人類は進化してきている。事象や物事に、本来意味はないという。それに意味を与えるのは、自分の感情や価値観。そこに、弱さを見るのか、力強さを見るのか。それによって、世界は変わるのではないだろうか。