他人との比較

楽しく過ごすための原理原則のひとつ。「他人と比べないこと」自分自身の評価の基準を他人に置くことは、不幸を招く大きな要因のひとつとなる。「この人よりも・・」と考えたところで、その人を超えたところで、次の人は必ずいる。

他人と比べるということというのは、ゴールのないマラソンを続けるようなもの。その強迫観念に似たものは、確かに、常に奮起する活力になるかもしれない。しかし、傍目以上に本人は幸せを感じない。いつまでも満足感を得られないからだ。

幸せというのは、未来にある日突然あるのではない。今の延長にしかないということに気付く。目標として設定すべきは、常に自分。トップアスリートたちは、ライバルを倒すことより、自分自身の可能性の限界に挑戦している。実際に、そういう選手がトップに立つ。

他人と比べるということは、「目標の限界を他人のレベルにおく」ともいえる。可能性というのは、本来、そんな枠には収まらない。他人と比べる価値観自体が、すでに、自分に、その限界を示している。その価値観の上を行こうとすれば、自然と他人との比較は、無意味になる。

日々の挑戦や出来事が、自分を成長させ、奮起させてくれる。それは、とても楽しいことだ。人生を楽しむための原理原則。それを実行するために、特別なお金は必要ない。

アサーティブなこだわり

こだわりは、持っていい。しかし、固執することは良くない。こだわりと固執。この違いは、他との関連性、そして、セルフイメージとの整合にあると思う。こだわりというのは、それ単体でなりたつ。しかし、固執は、他との関連性が強い。ファッションにこだわりを持っているとする。

しかし、今日、これでなくてはならないことはない。こだわりの部分が欠け、セルフイメージと不整合を起こすならやめ。ただ、それだけでいいはずだ。固執すると、窮屈になってしまう。自ら、様々な制約を設けて苦しめる。

こだわりだと思っていたことが、固執だとしたら、改めた方が得策だ。今日でなく、明日、明日ではなく来週。もし、時間が解決してくれるなら固執しない。他の選択肢や方法を考えて、本質を見失うようなことがなければいい。

固執するがあまり、平常心でなくなることは、何よりもマイナスの事象を引き起こす可能性がある。ゆったりとしたこだわり。それがスマートでカッコイイ。そう感じられるようになればよいと思う。こだわりの中に柔軟性。

自分を主張しながらも、他人も受け入れる。アサーティブ。これも、またいい。こだわりは持っても、固執はしない。賢く生きる知恵のひとつといえるだろう。

負のサイクルからの脱却

ビジネスも私生活も原理原則に立ち返るべきときがある。いろいろな条件や選択肢が出てきて、迷ってしまったり、考えすぎたりしているとき。ビジネスの原理原則は、「価値の提供」。お金とは、その価値に比例して支払われるもの。

今、何をすれば儲かるか?を考えているなら、どんな価値が提供できるか?と質問を変えてみる。私生活の原理原則は、「今の状況」にある。今が幸せであれば、将来も幸せである。今の延長にしか未来はないからである。

今、辛い状況にあるならば、「どうすれば、今、笑顔になれるか?」を考える。このように原理原則は、常にシンプルだ。将来への不安や過去への後悔は、今を生きていない、明らかな証拠だ。ただ、誤解をしてはいけない。「今を生きる」とは、刹那的な幸せや快楽を求めることではない。

自分のセルフイメージとの整合がとれているか。腑に落ちた形で、統合されているか。そして、「楽な、仕事はない」とか、「好きなことをするのはよくないこと」といった観念。こうした根拠のない観念を、取り除いた状態で、観察してみるといい。原理原則に立ち返る。

スランプや負のサイクルから抜け出すための、基本的、かつ強力な方法。負のサイクルは、降りかかるのではない。自分で、負のサイクルに入っていくのだ。だから、必ず自分の力で抜け出せる。

統合された情報

統合された情報は、強い。この「強さ」というのは、柔軟性。不確実性の中で、効果的な行動に繋げていくために、効率的に最適解を出すためのもの。統合までのプロセスには、2つの段階を経る。まずは、知識と理解の情報プロセス。これがなければ、何事も始まらない。

まずはじめに取り組むべきことは、質の高い知識や情報を、貪欲に得ること。そして、次に応用と分析。得た知識を応用し、分析していく。この応用と分析には、テクニックが必要とされる。そのためのフレームワームや考え方は、様々なものがあるが基本は、論理的思考。

水平思考や垂直思考を繰り返し、幅広く、そして必要としない制限を設けない思考。そして、最後に統合。俯瞰された視点、具体的なビジョンにって、知識レベルでは、無関係であったものが統合される。統合によって、もたらされたアイデアは、直感的でありながら、奥深いものが多い。

応用や分析によってもたらされる統合は、とても、魅力的にみえてしまう。そのために、知識や理解の情報プロセスを飛ばし、いきなり、応用分析のプロセスに向かう場合がある。しかし、それは、結果として遠回りになってしまう。

小学校などの初期の学問において、記憶することを主とするのは、実に理に適っている。統合された情報を手にするためのプロセス。一足飛びをしようとは考えず、「急がば回れ」。結局、それが結果的に一番早い。

原理原則

いろいろと知識や情報が付いてくると、原理原則を忘れてしまうことがある。「テクニックにおぼれてしまう」という状況は、自分の理想とのギャップも大きくへこむ。だから、常に原理原則を忘れてはいけない。そして、原理原則は、いつもシンプルだ。

たとえば、人は、「価値」にお金を払うのであって、支払う行為そのものに意味を持たせすぎてはいけない。サカナは、種の保存のために生きているのであって、人間に釣られるために生きているのではない。原理原則は、新しく学ぶ必要はない。

当然、知っているはずのものが、知識や情報によって、埋もれ隠されていく。もし、原理原則を見失いかけているなら、埋もれている状態から掘り起こす必要がある。まずは、行為そのものに着目せず、その意義に着目することから始める。それは、概念であり抽象的になっていく。

その不安に見向きもせず、抽象化し続ける。すると、必ず原理原則に行き当たる。それが、腑に落ちたとき、改めて行為に目を向ける。すると、その本質が違った形でみえてくることがある。

「迷ったたときは、原理原則に立ち返る」この当たり前のようで汎用的な助言は、何にも勝る強い助言となる。うまくいかないとき、目先の状況ばかりに目が行く。そして、小手先の方法ばかりに飛びついてしまう。まずは、それを辞めて深呼吸することだ。

そして、原理原則を高い視点から俯瞰してみよう。きっと、思いがけないほど簡単な解決策が、糸を手繰るように見えてくることだろう

情報サバイバル

情報には、価値があるという。これは、事実だ。今や、情報を制したものが、成功の道を駆け上がるといっても過言ではない。ただ、情報は、良いも悪いも混在している。ゴミの情報は、いくつ溜め込んでもゴミだ。まずは、その情報の見極めを行わなければならない。

その方法としては、2つある。ひとつは、テーマを持つこと。つまり、自分のフィルターを設定する。これは、「捨てる」というより、必要な情報を逃さないための方法だ。もうひとつは、再現性を確認する。これは、重要な情報を見極める方法だ。

再現性のない情報は、時間切れだったり、特定の人にしか有効でなかったりする。著者の自慢話に終始するノウハウ本の類はこれだ。なんだか自分も出来そうな気になるのが性質が悪い。次に考えることは、自己流のアウトプット。

得た情報のままの表現ではなく、自分の解釈を加えたアウトプットを心がける。そして、次にインプットがくる。アウトプットに触発されたインプットだ。このインプットには、価値がある。なぜなら、自分流の解釈に関連するインプットだからだ。

インプットの前に、アウトプットがあるのがミソ。とにかく、アウトプットをまずは心がける。情報は、探したり求めたりするのではなく、必要な情報を引き寄せてくるという考え方だ。あらゆる情報にアクセスすることはできる。ただ、自分にとって価値がある情報かどうかが問題だ。

知識人がテレビの視聴を嫌うのは、そこに見る側の情報の選択権がないからだ。情報は、自分で選ぶ。そして、情報の価値は、自分で決める。今の時代を生きるサバイバルスキルだ。

潜在意識のリソース

「意識が思考を中断すると、潜在意識がそれを引き継ぐ。そして、終了した課題に対する記憶の忘却は早い」これは、ザイガニック効果と呼ばれる心理状態だ。簡単にいえば、未完了の状態は記憶されやすく、完了してしまえば、忘れるのが早くなるという。

意図的に未完了の情報を与え記憶させることを狙い、マーケティング手法として活用されることもある。身近な例では、思う出だそうとして思い出せない場合、潜在意識がそれを引き継ぎ、あるときふと思い出す。

ウェイターが、注文を受けたときは覚えているが、料理を運び終わったら、それを忘れてしまうようなもの。このザイガニック効果を利用する側ではなく、受ける側としてみたとき考えるべきことがある。それは、「潜在意識のリソース」という考え方。

潜在意識は、パソコンでいうならば、メモリーのような役割も果たしているといえる。メモリーに容量があるように、潜在意識にも容量があると想定してみる。しかかり中の案件が多ければリソースを使う。脳は、大事なことも、無用なことも同じように扱う。

非効率にムダなリソースを使うことなく、大切なことにリソースを割り当てるにはどうすればいいか。「物事を完了させていくこと」やるべきことで先送りしていること。やらなければ、と思いながらやっていないこと。

心の中で、未完了となっている事柄。しかかり中の案件は、すべて書き出してみる。そして、出来ることはサッサと片付ける。「捨てる技術」がここでも活きる。「いつか使う」の「いつか」は来たためしがない。にもかかわらず、潜在意識のリソースは使っている。

大事な決断のためのメッセージを受け取るために、潜在意識のリソースは、常に最適化しておく。何ができるかは、ベストな状態にしてからの話だ。

コンセプト

コンセプトの重要さが説かれ随分と経つが、昨今の社会情勢は、その重要性を再認識させる。「良い商品」だけでは不十分。商品に「良いこと」を加えて商品として成り立つ。その礎となる部分が、「コンセプト」だ。

そして、コンセプトには一貫性が重要だ。一貫性の欠如は著しく信頼を低下させる。口先だけで実態が伴わないコンセプトならば、コンセプトなどないほうがましだ。だから、コンセプトを維持することは、決して簡単なことではない。

コンセプトの一貫性を検証するためには、その構築から体型立てて考えることが賢明だ。コンセプトを、4つの部分で考える。1.コアバリュー2.パーソナリティ3.ベネフィット4.ファクトコアバリューとは、一番のアピールポイントだ。

一言で「売り」を表現するとしたらコアバリューだ。パーソナリティは、コアバリューを表現する人。「誠実」「元気」「笑顔」など、従業員のイメージと一致する。ベネフィットは、コアバリューがもたらすメリット。顧客が実際に受け取れる利益だ。

ファクトは、ベネフィットを実現するための事実。「安心」を実現する「無料お試し」などがそれだ。この4つは、一貫性を持ってなされるべきこと。そして、行動規範として常に維持する。困ったことが起きても、これに当てはめて、対応方法を検討してみる。

迷ったときも、これに当てはめて考える。そうした行動の一貫性が、「信頼」を生み出し、「良い商品」が、「良いこと」を作り出す。これは、お店や企業だけの話ではない。個人ひとりひとりにとっても、その人のコンセプトを持つことは重要なことだ。

ブランド品を纏っても「人格」は向上しない。「一貫性」を持つコンセプトが「品格」を生み出す。もちろん、釣りのスタイルにも、コンセプトがあっていい。

ルーツ

ルーツといえば、何を思い浮かべるだろうか。自分の祖先は、どこの誰それ。その人は、どんな人で何をしてきたのか。気になることかもしれないが、その答えが今の人生に与える影響は少ない。

最も注目するべきなのに、想像以上にないがしろにされるルーツ。それが、「自分自身のルーツ」だ。今の価値観や考え方は、幼少期からの経験で学んできた結果の積み上げ。好きも嫌いも、そのルーツ上にある。ルーツを知ることは、自分を知ることに繋がる。

成功する活動には、3つの原則がある。1.夢中になれること2.得意であること3.誰かを助けることができることこの3つの原則を見ても、自分を知ることの重要性を理解できる。「諦めきれない夢」に出会うのも、自分自身を知ることから始まるもの。

小さいとき、好きだったこと。嫌な体験や、幸せだった瞬間。親の尊敬できる部分やそうでない部分。まるで、自分史を書くように思い出してみる。なぜか諦めてしまった夢。本当は、やりたかったこと。ワクワクする根源が、ルーツにはある。

その周囲にあることに注目すれば、今の自分でも十分に成し遂げられることがある。

信頼

楽天主義やポジティブ思考を、現実逃避の手段として利用してはいけない。心のわだかまりや不安を抱きながらも、明るく振舞い、現実から目を背けようとする。感情は、態度が生み出すから、笑顔や明るい振る舞いは、間違いなくプラスだ。

しかし、その態度は長続きすることはないだろう。ふとした瞬間に、現実が重く圧し掛かってくる。いつまにか、笑顔も消えてしまう。セミナーなどを受けた直後は元気だが、時間の経過につれて元通りになることに似ている。

ポジティブ思考の真髄は、「振る舞い」の中にあるのではない。「どれだけ信頼しているのか」この心の状態に、そのカギがある。今の自分自身がベストあると信頼できるか。たとえ、それがどんな状態であったとしても。

今の状態に「疑い」を抱きながら、それを見ないようにすることは現実逃避。「疑い」すら抱かないで、「今」に集中できる状態がポジティブ思考。不安な状態のときには、必ず心や意識は「今」にはないはずだ。

起こる確証のない「未来」に対する不安。今「ここ」にない確認するすべもない状態への不安。実際に、不安の90%以上は、現実や事実とは無関係な事柄だという。しかし、不安になる必要はないといっても、実際には困難だ、と言いたくなるのも事実。

「信頼」を実感し、積み上げるしかない。過去に辛かったとき、どう乗り越えたか。思いがけず、援助が来た事はなかったか。できるだけ多く思い出してみる。それらは、偶然だったのだろうか。偶然とは言いがたいことはなかっただろうか。

とても都合のいい解釈だが、それらが将来にも起こらないといえるだろうか。この「都合のいい解釈」が、本当の意味での「ポジティブ思考」の軸になる。そこに「疑い」はなく、「信頼」だけがある。

もともと、不安の根拠もいい加減なもの。信頼に根拠など無くても構わない。子供への愛に理由がないように、信頼することへの理由など必要ないのだ。最強のポジティブ思考を手に入れよう。