今、起きていることの本質を見ないで、その事象にだけに反応する人たちがいる。上司が、ある資料を見て何かいったとする。しかし、上司は資料全部を見たわけではなく、ある一部分をみて何かをいったとする。
それは、実際のところは、その部分からの印象を述べたに過ぎないかもしれない。つまり、ホンネのところをいえば、「こういうところが気になるからチェックしなさい」。
しかし、受け取る側が、それに「反応」すると、「指摘された部分を直さないといけない」となる。上司の意図は、その部分にはないから、出来上がったものがやっぱりズレている。
人というの、自分の価値観や感性を前提にするから、同じ言葉でも受け取る人によって感じ方は違う。このことを意識しておかなければ、ただ他人の言葉に「反応」するだけで振り回される。
本当に必要なのは、資料を直すことではなく、上司にもっと説明することなのかもしれない。ほとんどの生き物が「反応」することに対して、人間は、感情を持って考えることができる唯一の生き物。
目の前に起こった事象に対して、「反応」するまえに、「考える」クセをつける。うまくいけば、「よくわかるヤツ」ということになる。余計なやりとりも省略されるから、もちろん、成果までの効率も格段に上がる。
思わず「反応」しかけた自分に気付いたら、こう心でつぶやいて、自制してみよう。「俺は、虫じゃないだろう。ただ、物事に反応するだけの虫じゃない」ちょっと立ち止まって、相手の側で考える。これは、とても有効な処世術のひとつだ。
