押される前に引く

押される前に引いてみる。何かをやらなければならなくなってからやる。本当は、「ねばならない」ことなどないはず。決断や選択を先延ばしにすることで、選択の幅が狭まり、そして「押される」。

「ねばならない」のか、「したいのか」。この表現の違いが表すことは大きい。「○○しないといけないので」自分の意思ではなく、他人の意思で動く。この言い回しは、このことを表している。

したくないことならば、やらななければいいのに。本当はしたいことなら、「します」と表現すればいい。ほんの小さなことかもしれないが、この表現の違いの「クセ」がもたらす弊害は大きい。

この表現の連続は、状況を他人まかせにする。そして、ついに他人に背中を押されるまでになる。その「やらされ感」が、大きな成果を生むことはない。

「やらなければならない」という表現を、よく使っているならば、それは押され気味。押される前に引く。自分の意思で、引いてみること。もしくは、NODeal(取引しない)を選択する。

ときには、じっくり考えたいこともあるだろう。そういったときは、無関心になる。他人のどんな「押し」にも反応しないことだ。押すも引くも自分次第。そして、すべては自分の責任の中。

他人に押されてする失敗は、見苦しい言い訳の元になることも少なくない。自分の責任の中で失敗する方が意味がある。何にも縛られない「自由」とは、こういった状態が基本になるのだと思う。

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