人生には、人それぞれのテーマがある。そのテーマを人生の中で成しえるには、必要な時間というものがあって、それも人それぞれ。医者になるにも、弁護士になるにも、いくら才能が豊かであっても必要な時間はある。
時間が短縮できることが優れているのではないし、その速さを競うことに、全く意味はない。人生とは、「いつ何をどれだけ得たか」ではなく、「どういう人間になるために何をしてきたか」だ。
カーネルサンダースは60歳を超えてから、ケンタッキーフライドチキンのレシピを売り歩いた。そのとき、彼はハイウェイによって、売上げが激減した店を手放して無一文だった。
さらに、そのレシピのライセンスを売り歩く過程で、1000回以上も断られている。60歳までの彼の人生は、決してムダではなく、その結果として受け取るもののために必要な過程。
「いのちに齢を加えるのではなく、齢にいのちを注ぎ込むようにしなさい」ある医師が、恩師から教わった言葉だ。人生は、その注ぎ込まれた重さで量られる。
自分のためだけに時間を注ぎ続ければ、空っぽの器だけが残っていることに気付くだろう。他人のために費やした時間は、いのちの時間として、自分という器を満たしてくれる。
その過程に費やされる時間も労力も、人それぞれであって、ベストなタイミングがある。いつはじめても、どんな状況であっても、始めるのに遅すぎるということはない。
時間の使い方を、ほんの少し見直すことで、人生の軌道修正を、簡単に行うことができる。「いのち」で満たす時間。そのために必要な時間や出来事。無駄な時間や出来事など存在しない。遅すぎるということは、決してないのだ。