近所の河川沿いのジョギングコースにトレーニング用の施設がいくつかある。そのうちのひとつの腹筋用施設に、寝転がって、ストレッチをしながら空をみる。
いわゆる大人になってからというもの、日常的に外で寝転がって空をみることは少ない。初めて、そうして寝転がって空を見上げたとき、その開放感がなんとも気持ちが良いと感じた。
この感覚は、大人になったからなのか。大人になると、感傷的になってしまうのか。始めは、そう感じたが、その後、実際はそうではないように感じた。当たり前で自然なことから遠ざかっていた。
ただ、それだけのような気がしてきた。様々な観念や経験が、本来の姿を見えなくする。その「作られた世界」と「自然な世界」。そのギャップがあるから、感じる感覚。
空や雲や太陽といった自然は、昔から何も変わっていない。「当たり前のように、ずいぶん長く、本来の姿から離れたところにいたんだな」開放感を実感するという感覚に、なんとなく、「中心」とのズレを感じてしまう。
どっちにも寄り過ぎない真ん中。自然は、いつもその位置にある。何から守るつもりなのか、過剰なまでに身に付けた鎧兜。外に寝転がって、見上げる空は、余計な鎧兜を外すことを促してくれる。
それでも、充分に生きていけることを、感覚的に実感させ、安心させてくれる。