「選択する」ということ

成功哲学の常套フレーズに、「人生は、選択できる」という言葉がある。この意味は、とても深く、言葉として捉えた場合に誤解を招くこともある。様々な状況や事実には、実は意味はない。

その意味を与えるのは自分という選択。リストラという事実を、ある人は不幸と考え、ある人は、チャンスと考えるだろう。そして、自分が何をするのかも選択できる。

「ちょっと待ってよ。そうでもないでしょ」「お金もないし、時間もないし」たとえば、世界一周旅行に行きたいと考える。しかし、時間もお金もないしな、と諦める。

これは、「選択」していることにはならない。選択する前に諦めているにすぎない。「選択する」ということは、それを実現に向かわせるための一歩を踏み出すこと。その一歩は、とても小さくても構わない。

その一歩が、次の一歩を生み出すことは少なくない。だからまず、世界一周に必要な費用や時間、手続きなどを確認してみる。そうすると、どれだけの費用と時間が必要か、それを実現するために何が必要かがわかる。

こんな小さな一歩でも構わない。まずは、目標を具体化するために具体的に行動すること。なんとなく、時間とお金がそれなりに必要だ。でも、どれくらいの時間とお金が必要かは判らない。

これでは、一体何を実現しないのかが判らない。「選択する」とは、実現に向け一歩を踏み出すこと。それもせずに諦めるならば、それは目標ではない。騙されたと思ってやってみるといい。

無理だと思っていたことが実はそうでもないことが判る。「人生は、自由に選択できる」この一見、非現実にみえる現実に気付き、選択し、そして、小さな一歩を踏み出してみよう。

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