反省

何かを得るために行動する。これは、人間の基本的欲求の部分だろう。しかし、本当に自分自身が望んでいるのは、何かを得るため行動することではない。それは、死の間際になって気付くのだという。

何かを得るためだけに生きてきた人生。結局、死後、何一つ持ち続けられない事実。対して、どういう人間であるかを問うた人生。物質的なもの、名誉的なもの、そういったものは、わずかかもしれない。

しかし、そこには、心底自分との別れを、惜しんでくれる人たちがいるということ。それは、自分が残してきた証。物質的なものは、いずれ他人の手に渡る。そして、いつしかそれが誰のものだったかも判らなくなる。

名誉的なものは、後世の人に渡される。そして、誰がいつそうだったか、いずれ忘れられていく。そうした中で、唯一残り続けるものがあるとすれば、それは、自分がどういう人間であったかということだろう。

最後には、それを自分が決めるのではなく、係わった人がどういう人だったかを決める。「人生は、何を得たかではなく、どういう人間であったかということで評価される」。

しかし、人は、神でも仏でもない。普段の生活の中では、どうしても得るものに目が行く。それは、自然なことで当たり前のことだ。大切なことは、選択を迫られたとき。

損か得かの判断を迫られたとき、善か悪かの判断の置き換えてみる。善か悪かの判断とは、本心の判断。損得の判断に、後ろめたさを感じたなら、心の中で、善悪の判断に委ねてみる。

たとえ一時は損であったとしても。その一時の損は、人生にとっては損ではない。忘れた頃に大きな徳となって返ってくるものだ。現実は、誘惑と欲求の連続。見直すべきところは、多い。

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