決断と責任

自分の行った選択にどれだけの責任を取れるか。それは、様々な場面で問いかけられている。それは、自分がどれだけ「決断」しているかを、問われているようなものだ。

決断するということは、自分の人生を自分の足で歩むことを意味する。釣れない理由を、いろいろと並べることがあるが、その言い訳は、責任回避の証拠。

どんな結果であれ、責任を受け止めなければ、本当の意味で、決断したことにはならない。しかし、現実には決断をしなくても時間は進む。物事は、自分の決断の有無に関係なく進む。

その決断をすることなく、流されることは、板の上の将棋の駒と同じようなもの。将棋の駒は、自分で動こうとはしない。誰かによって動かされることを待っている。

そして、動かされた先にあるのは他人の目標。それ実現するために手助けするばかりとなる。逆に、責任を取る覚悟をもって選択するならその結果がどうであれ、自分にとっては常に正解。

必ず、その結果はプラスとなる。だから、責任をとって決断しない手はない。欲しい結果を手にしている人たちは、自分の責任をすべて受けて入れている事実。

決断は行った時点で、すでに結果を得ているという。そう決めた時点で、結果は保証されているのだ。決断は、魔法のランプ。擦れば、欲しい結果や願いを何でも叶えてくれる。

ただ、ランプの精は、責任を取るものだけの望みを訊いてくれることになっている。決断力とは、責任力を意味している。

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