運がいいとか悪いとか

運がいいとか悪いとか。運の存在を否定するか。そして、自分が運を引き寄せたいと思うか。それは、全くの自由。もし、その運を操っている人がいるとしたら、それは、神様のような存在かもしれない。

そして、神様に認められ運を得るためには、何をしなければならないだろうか。その答えは、神様は、「人間を自分に似せて作った」という点にある。とても、単純な話だ。とても、つまらない仕事がある。しんどいだけで、面白くもなんともない仕事だ。

そこに、文句や愚痴ばかりいいながら、仕事に取り組む部下がいたとする。そして、もうひとりは、ひたむきに素直な心で、一生懸命に仕事に取り組む部下がいたとする。「どちらを応援し、助けたいと思うか」神様は、ひとりひとりの中に宿っている。

だから、運を与えるのも人だというのが真実。自分の目の前の事象には、必ず二つの側面がある。「愚痴を言える側面」と「感謝できる側面」。たとえば、残業を頼まれたとき、「何で俺が」とふてくされることもできる。

一方で、この経済不況の中で、「自分に期待してくれるありがたさ」に感謝もできる。これが、ほしいものを得る運を掴む絶対的な原則は、「現状に感謝することにある」といわれる理由。とても、単純なことだ。

「文句ばかり言う人は助けたいとは思わない」「ひたむきに努力し、感謝する人は助けたいと思う」運がいい人というのは、ただ、その点に尽きる。

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