経験と引き出し

様々な状況に対応できること。それを、「引き出しが多い」と表現することがある。「引き出しの多さ」は、柔軟に、そして時に奇抜に策を導く。引き出しの多さとは、何に起因するのか。それは、経験の多さに比例すると考えられる。

しかし、実際には、そう単純ではない。「経験の多さ=引き出しの多さ」とは、決していえない。経験の多さを引き出しの多さに繋げる。そこには、「条件」がある。経験の概念を、上げておくこと。

問題というのは、その問題の発生している、同じ概念レベルで解決できるとは限らない。むしろ、抽象的な概念を押し上げることで、解決する方法が見えることは珍しくない。いわゆる、「視点を挙げる」ということだ。

つまり、「犬のタロー」という情報は、「犬」や「ペット」という概念で記録されているとする。そこに、「哺乳類」という概念がなければ、哺乳類で情報を導き出そうとしても「タロー」はでない。

犬のタローという、とても具体的で有効な、情報(経験)が、そこにあるにも係わらず。経験を引き出しとして生かす。それには、経験の概念レベルをあげる必要がある。

何かを体験したり、情報を得たなら、その理解の視点や概念を、一旦上げておく。そこに論理的思考はいらない。むしろ、そうした観念的思考は邪魔なくらいだ。落ち着いて、平常心で視点を上げてみる。

「引き出し」というものは、どこに何があるか知っていなれば使えない。必要な情報を一気に引き出せる。そんな経験の整理を行っておこう。

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