自分の行動が萎縮してしまう。その要因は、他人にあると「思う」。しかし、実際は、その要因は自分の方にしかない。あの人は、自分をこう思っている(に違いない)。こう思われる(想像)のはイヤだから、こうする。
この思考パターンには、「事実」は乏しい。そのほとんどが、思い込みや想像からきている。価値観そのものが、人それぞれ違うから、事象に対して受け取る認識も異なって当然。「あの人は、東大にいっているからスゴイ」。
これもまた、東大という価値の受け止め方。価値感というのは、時代と共に変わるし、文化や社会情勢によっても変化する。バブル期、証券会社は花形だった。アイツは、○○証券に就職できてスゴイ。
しかし、バブル崩壊後は、その○○証券は、倒産してしまった。他人の価値観や一般的価値観などは、所詮は、その程度のものでしかない。たとえ、○○証券に勤めていたとしても、自分の価値観であれば何も問題はなかっただろう。
その後も、自分の価値観で、それを糧として、自分の道を切り開いていくことができる。しかし、他人の価値観で乗っかった人にとっては、こんなはずではなかったと感じてしまっただろう。
「他人の価値観に乗る」ということは、別の言い方をすれば、「他人に人生を預ける」こと。それが顕著に現れるのは、問題にぶつかったとき。
「会社が、こうだったから、自分はこうなった」「あの人に従ったから、自分はこうなった」こうした言い訳が付き物になる。今の判断は、他人の価値観か自分の価値観か。そして、その自分の価値観は果たして正しいのか。
将来、見苦しい言い訳をしてしまうことになる前に、自分の人生を、自分で舵取りする決断をしよう。他人の価値観や思い込み、想像だけで、今という貴重な時間を無駄にすることは止めにしよう。
