お金と信用と投資

損得勘定で判断するということが、日常生活の中では、よくあることだろう。実際のところ、損得勘定というのは、本当に、得をする考え方なのだろうか。

そのもの、損得の基準は金銭に絡む場合が多い。それは、その対価が短期的でなくとも、中長期的に金銭的なものの見返りを期待する。しかし、逆にいえば金銭というものほど、危ういものはないともいうことができる。

お金というのは、そもそもひとつの取り決めに過ぎない。1万円の価値の信用が、あの紙にあるということ。金の取引を基本としていた時代では、こうした信用という概念はなかったという。「金」という限られた資源以上に取引量をする必要性から、「お金」という「信用」に置き換わって実際の価値を上回った。

しかも、その信用とは、自分の力の及ばない部分。その価値判断は、刻々と変化を続けている。そう考えると、1万円という価値が、現実的に1万円であるのは、「今」のみ。円高が進めば、同じ1万円で買えるものが変わる。

数年後にも、同じ1万円である保証はない。そう考えてみると、やはり自分への投資が何よりも、一番確実だということがわかる。お金が不要だとは思わないし、少なくてもいいとは、思わない。

ただ、お金を人生の中心においてしまうと、本末転倒になってしまうということだ。お金が、人生を作っていくのではなく。人生の結果としてお金がある。だから、損得勘定だけで判断するのではなく、自分自身にとっての善悪で判断する。

今でも、大小さまざまな選択が目の前にある。何か心に引っかかれば、必ず善悪に立ち返る。それは、一見愚かなようでいて、結果として、良い方向に向かうことが多い。

これは、実に単純な理論。価値あるものにお金は集まる。そして、普遍的な価値は自分自身の在り方。結果、自分の価値を上げる投資が、もっとも、効率的で効果的であるといえる。その始まりであり、ベースにあるのが、損得勘定で判断しないことだろう。

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