ありのまま

子供が子供らしく生きることができない世の中。そんな話を聞いたことがある。その理由は、子供が子供らしくあることを、許可しようとしない大人の社会にあるという。子供は、未熟であって不完全であるもの。

それを受け入れたくない大人たちのエゴ。そのプレッシャーは、時に子供を葛藤に追い込む。「ありのままの存在自体に価値がある」ことを、胸を張って伝えることができない大人たち。なぜなら、自分自身がそう感じ得ないから。

その主たる原因は、「今」に生きていないことにある。過去に悩み、将来に不安を抱きながら生きる。そこから、力強いメッセージは生まれない。何か行動を起こすことができるのは、「今」しかないという、当たり前の事実。

しかし、散歩という時間でさえ、意識は、過去や未来に行き、「今」にはない。今、足を踏み出していることに、歩いている自分自身に、意識をむけてみよう。「そんな無駄なこと」と感じるかもしれない。しかし、他のことにどれくらい意味があるだろうか。

そもそも、人間の考えうる範囲に意味の違いなどない。どっちもどっち、大した差などないはずなのだ。それよりも、「今」に意識を向けることの方が、はるかに意義があり、大きなことだ。なぜなら、今の積み重ねが、未来を作る。未来は、それ以外に作る方法はない。

悟りの境地は、「今に生きる」ことにあるという。一見、意味のないようにみえる「今」に、意識を傾けてみることにしよう。きっと、「ありのままでいい」ということに、気付くことができるだろう。

そして、未来を築く子供たちにも、そう伝えることができるようになれるだろう。

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