世阿弥の代表的な著作「風姿花伝」に、「花」というものについて、語られているという。「時分の花」と「真の花」。演者は、まず「時分の花」を咲かせる。やがて、「時分の花」は、衰え失われていく。
演者は、そうした「花」を失わないように、精進することで「真の花」を咲かせる必要がある。「真の花」を咲かせたものは、それを失うことはない。つまり、一時的な人気や流行で咲く「花」には限りがある。
だから、精進して「真の花」を咲かせようということ。「脱皮」「成長」「卒業」。こうした言葉は、単にイベントとするのではなく、真の花を咲かせるための、精進と読みたい。
この考え方は、芸術分野だけではなく、ビジネスやスポーツ、夫婦関係などにも応用できる。世阿弥曰く、「真の花」は、衰えることも、失われることもない。「真の花」を咲かせた人は、本当に強い。
そこには、マネのできない奥深さや絆がある。派手に着飾ったり、豪勢なことばかりが花ではない。「人生に花を咲かせる」ということは、その人の「真の花」を咲かせるということではないだろうか。精進せねばならない。