「自分のしたいことをしていいな」そう思われることは、少なくない。働く日も、仕事も比較的自由がきく。それでいて、生活もそう悪くない。周囲から見ればいいこと尽くめにも見えるらしい。
しかし、本人にしてみれば悩みは尽きない。「隣の芝生は良く見える」の典型だろう。ただ、本当は、どんな芝生にするかは、自分で決めなければならない。
自分は、サラリーマンだから・・・、自分には、資金がないから・・・。理由は、いくらでもあるだろう。しかし、真実は、「自分でそれを選んでいる」。サラリーマンは、みんな我慢しているだろうか。
独立開業したものは、皆親のスネをかじっているだろうか。○○だからという理由の多くは思い込みに過ぎない。そして、その思い込みは、誰にでもある。もう少し資金があれば、もう少し時間があれば。
思わずそう感じてしまうことは、よくある。そのとき、必ず自分に問い直すことにしている。「それは、真実か?」そして、その多くは真実ではない。自分で、枷(かせ)をはめている場合がほとんどだ。
そして、今、それをしないでいることも、また、自分の選択なのだと理解するようにする。何もかもが、事を急げば吉という訳ではない。物事には、タイミングや準備というものがある。
理由(言い訳)をつけてやらないことと、あえてやらないでおくことでは大きな違いある。もし、自分がグズで言い訳を言い始めたら、まずは、グズあるべき理由があるはずと考える。
なぜなら、本当は出来ない理由などないからだ。今は、待つべきとき、そうすべきとき。そうした意思を持てば、前向きになる。言い訳を立てるくらいなら、意思を示す。これが見苦しいかどうかは他人の判断。
そこに、自分の意思が明確にあることが大事なのだ。出来ない理由などない。あえて、そうしているのだ。次の一歩は、ここから始まる。