世の中は、誤解だらけだと思う。多くの人は、本当のことを知らないだけなのに、自分の価値観に照らしあわした判断をしている。すごいスピードで追い越していった車。もちろん、危険極まりない行為だ。
頭にもくるかもしれないが、その車が急ぐ本当の理由は判らない。もしかしたら、子供が危篤なのかもしれない。もし、そうだとしたら怒りの感情は出てこない。人である以上、完璧ではないのは自分も同じ。
我儘な一面や嫌な一面が垣間見えるのも同じだ。たとえ、その行為が個人的なものだとしても、一時の感情に流された行為だったとしても。人の人生には、見えない部分がある。それは、近くても遠くても同じことだ。
相手を思いやっての行為のはずが、まったく逆に取られてしまうことすらある。こうした誤解は、心の余計な荷物となって溜まる。荷物の積み重ねは、時に虚像をも作る。
「本当のことは判らない」このことを前提にすれば、自分の身の回りに起こる多くのことは「許せる」はず。もし、どうしても許せないならば、相手を受け入れる姿勢で真実を確認する必要がある。
人を威圧するような行為は、その人にとって防御の現れに過ぎないかもしれない。あの人が、自分の前から立ち去ったのは、避けたのではなく、自分を想ってこそかもしれない。その解釈が、間違っていたとしてもいい。
その真実が、確認できなくてもいい。そうして、許す行為が自分をも浄化してくれる。心にある余計な荷物は、自分で降ろすようにしよう。