アクション会議

具体的に見えていないから、不安に感じるということがある。その不安を解消するために、やみくもに、情報収集したり行動を起こす。それが、状況を余計に混乱させる場合もある。問題や課題というのには、特徴がある。

それは、「本質が見えれば解決したも同じ」。つまり、何かうまくいかない状況などに、直面した場合は、いきなり解決策を模索しない。まずは、その問題の本質を見据える。

ある事柄に対する要件が不明確である故に、漠然とした議論や取り組みになっている。本来の目的と取り組みの整合性が、見えなくなってきている。何が判らないのか判らない。これも、列記とした本質のひとつ。

本質を見極めていけば、ある課題が、その他の課題の中心にあると気付く。つまり、様々なタスクが輻輳する中においても、そのプロジェクトの課題は、数個に集約される。

その中心的課題というのは、往々にして、「誰も手につけたがらない」ものであることが多い。要するに、「判っていて見て見ぬ振り」をしている。そして、それを明確にした時点で、問題は解決に進む。

アクション会議の場においては、こうした観点を持って取り組むことが賢明。ただ、なぜだなぜだを繰り返しても無駄だし、「何が問題だ」と問い詰めても、答は出てこない。

それが、判っていれば、対処は出来ているはずだ。それよりも、本質を見抜くことに注力する。それは、何かのちょっとした不整合だ。第三者の俯瞰的視点が、それを見つけやすい。

会議を責任追求の場にしても始まらない。こうした視点が、プロジェクトをレールに戻していく。

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