ツイてないことは起こる。そういった場合、2つの側面で、そのことを見つめるようにしてみる。ひとつは、「学び」という側面。その一見ツイてない出来事から、学ばなければならないことは何か。
それを伝えるためのメッセージだとしたら、何を感じ取って、どう解釈するか。それは、それまでの警告や助言を無視した結果か。信頼できる人からの助言の受け止め方に、学びのポイントがあるのかもしれない。
もうひとつは、「功を奏する」場合。渋滞に巻き込まれたから、事故にあわずに済んだのかもしれない。車のエアコンが故障し、窓を全開したから、山道の空気を肌で感じることができたかもしれない。
とにかく、一見マズイ出来事も、解釈ひとつで、イライラしないで済む。どちらの解釈をとってみても、つまりは、「人間万事、塞翁が馬」ということだ。人生を学びのステージとするならば、課題をクリアしなければ同じような問題は起こる。
だから、いつも金銭の問題を抱えている人、いつも、異性の問題を抱えている人と様々。学びを得れば、次のステージへステップアップ。出会う課題の質もレベルも変わってくる。
とにかく、問題やツイてないことは、レベルアップのために課題ということになる。いろいろとツイてないことは起こる。しかし、あとは、解釈ひとつでツイてないことは、「ツイていたこと」にすることができる。
だから、ツイてないことが起きない人はいる。ただし、「本人にとってみれば」という条件付きだ。人生をうまく生きる人というのは、そういった生き方をしている人ではないかと思う。
