自分発の選択2

「自分発の選択」、「意思ある選択」について、補足しておかなければならないと思う。意思ある選択をするには、それで何を実現するのか、また、今何をしているかは、全く関係ない。

どんなときも、何をしていたとしても、「意思ある選択」というものは、することができる。「意思ある選択をする人=起業家や反体制」ではない。そのことを、よく表している逸話がある。

以前にレンガ積みの話を書いたことがあるが、ここで、それを再掲しておきたい。教会の壁のレンガを積み上げる3人の職人がいる。ある人が、男達に質問をした。「あなたは、何をしているのですか?」ひとり目の男は、こう応える。

「レンガを積んでいるのです」二人目の男は、こう応える。「生活のために、レンガを積んでいるのです」三人目の男は、こう応える。「多くの人を悩み苦しみから開放する教会を作っています」外部の人たちからみれば、3人の男達がしていることは、同じようにみえるだろう。

そして、レンガを積むという結果も、大局的にみれば同じだ。しかし、それぞれの男達が、自分の行為に対して、自分自身で選択していることは違う。生活のためだけにレンガを積み上げた人生と、自分の意思を持ってレンガを積み上げた人生。

どちらも行ってきた行為はおなじでも、どちらが人生という時間に多くの価値を与えただろう。3人目の男は、他人の評価がどうであろうと、幸せな人生を送っているといえるだろう。もともと、人生には意味などない。

自分の行為に、どういう意味を与えるかは、全くもって自分の選択次第。意思とは裏腹に「こなす」こともできるし、自分で意味を与えて、周囲をも変えることもできる。

今の自分の状況は、過去の自分の選択の結果。そして、未来の自分は、今の選択の結果。「自分発の選択」、「意思ある選択」というのは、意味を選択するという、とてもシンプルなものだ。

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