大型書店にいくと、いつも、「何だかなぁ」と感じることがある。欲しい本が抽象的観点で探せない。「抽象的観点」とは、読みたい本が漠然としているときなど。
たとえば、興味のある著者はいるが、特定の本がない場合。そうした場合などは、まずは著者名で一度に見たい。それから、感覚的に求めている作品を選びたい。
その点において、大型書店に見られる傾向として、書籍が、出版社ごとに陳列されている。果たして、出版社を検索キーとして、本を探す人は、どれくらいいるだろうか。
ある著者の作品を探す場合でも、出版社ごとの棚を探さなければならない。その上、その著者の作品を出している出版社を知っていればいいが、そうでない場合は、見逃してしまう本も出てくるだろう。
だから、本を探すなら、むしろ図書館の方が楽しく本を探せる。関連のある著作をテーマごとに探すことが出来る。関連づいた作品を見せることは、購買意欲をそそる。
その点をカバーしたアマゾンは「この本を買った人は・・」で表示している。セールスの観点からしてみても、大型書店の陳列における機会損失は、決して少なくないだろう。
そもそも、出版社ごとの陳列は、書店や出版社都合でしかない。その売り手側都合の陳列が何の疑問もなくなされている。書籍の電子化やネット販売が台頭する昨今、そういった中でも、人気をはくしている書店があるという。
その書店は、ジャンルやテーマに特化した陳列を行っている。例えば、石原裕次郎のコーナーには、写真集やCDの他に、石原慎太郎の著作もある。裕次郎に興味がある人の興味を刺激する陳列となっているから、客は、本来の目的以外の発見をすることができる。
その発見の楽しさは、ネットではなくリアルだからこそ。そうした陳列には、センスもいれば手間もかかる。だからこそ、独特の楽しさを演出できるし簡単に真似もできない。書店のテーマパーク化。
ネットでないからこそ、大型書店でないからこそできること。これからの社会、独自性が大切というが、独自性とは、こうした一味を加えられるかどうかなのだろう。
