面白い見方

日々、楽しそうに暮らしている人は、そうではない人より、楽しいことが起こっているだろうか。この答は、否に違いない。日々の生活の中で、実際に面白いことが、次から次へと起こることは、まずないといっていい。

大切なことは、普通のことを「面白がる」心掛け。それが、たとえ一見、つまらない、むしろ、嫌なことと感じることでも、「面白がる」。つまり、楽しいことや面白いことは、探そうとしても、見つからないものなのだ。

それは、「探す」のではなく、「作り出す」。たとえば、マーケティングの概念に、レッドオーシャンとブルーオーシャンがある。レッドオーシャンは、競争が苛烈している市場。

ブルーオーシャンは、競争が少ない独占的な市場。この話が持ち出される場合でも、やはり、ブルーオーシャンを「探そう」とする傾向がある。これも、面白いことと、やはり同じ。それは、探しても見つからない。

自分で作り出さなければならないのだ。しかし、「作り出す」といっても身構える必要はない。面白がる視点で、物事を捉えて、実際に面白がることだ。

たとえ、サカナが思うように釣れないとしても、その釣れない中で、哲学者になる自分を客観的に面白がってみる。そうすると、不思議と、本当に面白くなってくる。つまらないと思えば、つまらない。面白いと思えば、面白い。

それは、表裏一体となっていて紙一重。誰かが、面白さを届けてくれることを待っていても、それが、届けられることはなく人生は終わる。それは、どんな状況にあったとしても言えること。

「面白き こともなき世を 面白く」長州藩士・高杉晋作、辞世の句。

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