やりがい

新入社員は、「やりがい重視」。あるアンケートの結果では、仕事に対して求めることの上位にあるという。「やりがい」は、確かに、仕事の生産性を上げる上でも重要なこと。

しかし、そもそも、「やりがい」とは、「与えられるもの」ではないこと理解しなければならない。「会社や仕事、上司が与えてくれるもの」そういった理解をしている以上、やりがいなど感じない。

誰かが、それを自分に与えてくれると、外部に期待すればするほど、やりがいは失われる。「やりがい」だけではない。「希望」であっても同じことだ。

「希望のない社会」と表現されることがあるが、どんな状況であれ、希望は作り出せるもの。ビクトール・フランクルは、強制収容所にいながら、決して、希望を失うことはなかった。

そして生き延びた。どんな仕事でさえ、自分の取り組み方で、そこに価値を見出すことも、やりがいを感じることもできる。唯一、感じられない状況があるとしたら、他人や周囲との比較によって、基準を持っている場合だ。

外に求めているうちは、何も変わらない。そして、時間は、それでも過ぎていくのだ。若い頃に、自分に投資し、築いた遺産。人生の後半は、それを取り崩して生きていくものだ。

若い人には、近視眼的な損得勘定に流されず、理性や信念、ポリシーに忠実に生きて欲しい。それは、きっと数倍にもなって自分に返ってくる。

やりがい重視。そして、やりがいを生み出すのは自分。他人や周囲の基準ではなく、自分の中の基準に忠実であってほしい。

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