生命というのは、何なのか。この偉大なるシステムは、どのように、そこにあるのだろうか?このテーマは、科学者たちを永い間、虜にしてきた。そのひとつの解が、「動的平衡」。
つまり、「変わりながら変わらない」ということだ。身体の細胞は、食べたモノが分解され、それが、あまねく置き換わっていくのだという。尿などで排出されるのは3割ほどで、そのほかは、形を変え細胞に置き換わる。
しかし、昨日の自分と今日の自分は、顔も身体も、変わらない。変わっていながら、変わっていない。つまり、「動的平衡」が保たれている。それは、生命を維持するための方法として、偉大なるものが選択した方法なのだろう。
生命を維持するためには、臓器などの身体を維持しなければならない。身体を維持するには、秩序が必要だ。しかし、秩序の中にも不確実性はある。それを前提として、秩序を保つためにどうするか。
それは、壊し続けなればなならないということ。「秩序を保つには、壊し続けなければならない」偉大なる生命という仕組みは、この原理を我々を教えてくれている。安定を望むばかりに変化を恐れることがある。
それは、この原理から考えれば、逆だ。「秩序を保ちたければ、変化し続けなければならない」何が起こるかわからない不確実性を、恐れるのでなく、それを前提とする。
そして、そのために変化し続けることを選択する。それは、決して恐れることではない。生命が、それを証明してくれている。今日、自分が生きていることがそれを証明している。
