まっとうな方法では、超えられない。そう感じてしまう壁にぶつかってしまう。長い人生、そういうこともあるだろう。しかし、ここで逆の見方をしてほしい。そして、気付いてほしい。
「まっとうな方法で超えられない壁は、長い人生では、実は大したことがないということ」ぶつかって、倒れて潰れても、それは、決してマイナスにはならない。ほんの短い間の「出来事」だということ。
人生とは、「何を得たか」ではなく、「どういう人間になったか」が評価されるもの。たとえ、そこに「失う恐怖」があったとしても、そこで失うものなんかは、たかだか知れている。周囲の意見は、断片的な事実だけで、語られることが多いもの。
つまり、とるに足らない。成功のための失敗というのは、必ずある。失敗がなければ成功はないとしたら、失敗をあざ笑うものも気にはならない。失敗しないことが、「強さ」では決してない。自分に勝つことだけを見つめることができること。
「強さ」とは、そういうことだ。様々な局面で、自分の「強さ」が試されている。「何を得たいか」改め、「どうありたいか」。そして、もうひとつ重要なことがある。人生は、何度でもやり直す機会を与えてくれる。
過ちは、「弱さ」の表れ。「弱さ」を認めて、強くなること。勝負に負けても、自分に負けるな。
