「これって、意味があることだろうか?」今の自分に思わず問いかけてしまう。そういうときというのは、少なからずある。一方で、この世の中には、「意味のないものはない」ともいう。
問いかけをするのも理解できるし、すべてに意味があることも理解できる。この一見、矛盾したやりとりには、実に大きな「人生の指針」が隠されている。ひとつ目の指針は、これだ。
「意味は求めても、何も返してはくれない」そして、もうひとつの指針。「意味は求めるものではなく与えるものだ」物事や事象というのは、常に中立にある。「中立」というのは、「意味はない」ということ。
たとえば、「リストラ」という事象。「もう生きていけない」という意味を与えれば、それは、「もう生きていけない」事象になる。「好きなことに挑戦する機会」という意味を与えれば、それは、「大きなチャンス」という事象になる。
意味があるか?と問えば、それに意味を与えるのも、また自分。「意味がない」という意味を与えれば、それは、「意味がない」ものになってしまう。
世の中に偶然はなく、無駄はないと理解するなら、そのものに、どういった意味を与えるのが得策か。こう考えると、自分の人生というのは、やはり、自分の選択の手に委ねられていると気付く。
常に、他人の評価を「意味」とすれば、他人に自分の人生の舵を握らせることになる。ストレスというのは、こうした状況に生まれる。意味をどう与えるか。それは、全て自分が決めればいい。
「我が為すことは我のみぞ知る」坂本龍馬は、周囲の不理解や評価に対して、こう言い聞かせたという。そう、自分の人生を歩むことに、誰かの理解や承認は必要ないのだから。
