観念の再定義

世の中で、たったひとつだけ変わらないものがある。そう仮定するとするなら、それは何か。それは、「変化すること」。「変化すること」こそが、変わらないこと。

つまり、常に状況や環境は変わり続けている。しかし、なぜか自分のこととなると、ずっとこのまま続くのではないかと錯覚する。むしろ、変化することを拒む傾向もある。

果たして、これは得策だろうか。自分は、変わりたくなくても、確実に周囲の状況や環境は変わっていく。こうした状況の中で「安全であること」の定義は、現状のまま、変わらないことといえるだろうか。

一方で、人間というのは変化に敏感である。パターン認識や適応性無意識といった能力が、状況の総合的な判断を可能にしている。それは、会話を交わすことなく一目見ただけで、その人の機嫌が、なんとなくわかってしまうことでもわかる。

そうしたパターン認識の出す答えは、「なぜか?」という理由を答えにくいものばかり。だから、これまで身に付けた観念や思いで、その「なんとなく」に理由付けしようとしてしまう。

その結果として、「現状でいる」」という選択を、してしまうということも多々あるだろう。そうした判断や選択を行った場合に、観念なのか、信念なのかを見極める必要がある。その方法が、「感情の見る」ということ。

そこに情熱や安心、ワクワクを感じれば信念。不安、心配、恐れを感じれば観念によるもの。観念によるものと気付けば、その観念を探ってみて注意深く観察する。すると、その観念に明確な根拠がないとわかる。

「仕事は、辛いもの」とかという観念だ。そして、その観念を新しく定義しなおしてやる。「変化」からは逃げつづることはできない。「変化」には、「変化」で対応する。観念の再定義をしてみよう。

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