理想の人

作家が、新しい作品を書くとき、登場人物の具体性がモノをいうときく。だから、人物設定の際に実際の人物を、重ね合わせることで、具体性を持たせていく。キャラクターが出来上がれば、あとは設定の中で、自由に動き始める。

多くの人に印象を与える、よい作品というのは、そういった具合に出来上がると聞いたことがある。一方、自分の理想とする将来像を描くとする。もちろん、登場人物は自分だから、基本的には、今の自分の延長線上にある自分。

ただ、それがまったくの理想どおりかは別だ。今の自分の延長では、大きな夢は描けない。それは、「できそうなこと」の範囲で、思考され描かれた結果として描かれるだろう。実際、それでは何も変わらない。

夢を描くことに、条件をつけるならば、まずは、「その方法が判らないこと」だろう。どうすればできそうかという方法が、判ってしまう夢は、正直いって小さすぎる。どうすればわからない夢を、完全に描ききることにロマンがある。

そのとき、途方もなく感じるならば、まずは、理想の誰かを設定してみる。しかし、自分は、決してその人にはなれない。そこで、もうひとり違うタイプの理想の人を設定する。

まったく違うふたりだけれども、そのふたりには共通した魅力を感じられればいい。そのふたりをイメージの中で、重ね合わせる。もちろん、自分の理想の解釈を入れ込めばいい。そうして出来上がった「人物」が、理想とする姿。

その新しく描かれた理想の人は、今の自分からは想像もできない状況かもしれない。それでいい。その人が常に、自分の中にいる。その人の視点を持って、常に共に行動する。

たとえ、今、具体的な方法は判らなくても、たったそれだけで、今まで見えなかったことが見えてくる。その「理想の人」のなりきること。まずは、そこから始めてみよう。

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