無駄な一日

無駄な一日とは、どういった一日だろう。一日中、テレビを観て過ごした一日だろうか。何も成果がなかった一日だろうか。一般的な解釈でいえあ、ダラダラと過ごした日。

そういった一日を過ごした夜などは、「ああ、何もすることなく一日が終わった」と感じるだろう。そして、焦燥感や罪悪感に似たものを感じかもしれない。果たして、何かをやり遂げない一日は、本当に、「無駄な一日」だといえるだろうか。

本当の意味での「無駄な一日」。それは、意図しない一日。つまり、意思なく流される一日が、「無駄な一日」だといえるだろう。逆にいえば、「ダラダラ過ごす」に意思があれば、それは、決して「無駄な一日」だとはいわない。

「今日は、休息。一日ダラダラ過ごすぞ」そう決めておけば、それは無駄な一日ではない。たとえ、ダラダラ過ごしたとしても、その一日は、「予定通りの一日」となる。何か成果を出す。結果を見出す。それだけが、有意義な一日だとはいわない。

「決めて、過ごす」それが、有意義な一日の定義としたい。周囲からはダラダラを非難されるかもしれない。しかし、周囲の見方は自分の人生に関係ない。

周囲の意見や見方(想像)に振り回されることこそが、「流される」ことであり、「舵を他人に預ける」ことになる。自分の意思を表す。そして、舵を取り戻す。今日や、明日をどう過ごすか。

過ごしたいか。それを、自分自身で、決めるだけでいい。

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