土嚢(どのう)の山

人は、自分にとってプラスかマイナスかに関係なく、固定観念がなければ生きて行けない。固定観念がなければ選択や決断することはできないが、自分の目標を阻害してしまうマイナスの固定観念もある。そういった固定観念は、できるだけなくしていきたい。

そのマイナス要因をもたらす固定観念の中で、最も無くす必要がある固定観念がある。それは、「自分は、すでに知っている」。この自分勝手な固定観念は、せっかくの有益な情報や気付きから遠ざけてしまう。

たとえ、長い期間で特別な知識を持っていたとしても、その知識だけで、「すでに知っている」というには儚い。自分自身が、大きな流れの中にあって、その恩恵を受けながら生きていると知る。

今、知っていることは、その流れの中にある、ほんの一瞬で、わずかなことでしかない。その小さな原石を手にしていると理解して、その原石を自分なりに磨いて役立てようとしてみる。

その知識は、選ばれて与えられたものだから、独り占めしたり、他人を打ち負かすためのものではない。同じように、自分の知らないことを、選ばれて与えられた人から学ぶこともできる。突き詰めていけば、すべての物事は、天地自然の理の中で動いている。

その天地自然の理を感じ取れれば、他人に出し抜かれることなど心配することはなくなる。他人に惜しみなく知識を与え教えることで、自分自身の学びの速度は、格段に向上する。知識を与えることで出来る空スペースに、新しい知識や情報は、どんどん流れ込んでくる。

しかし、「すでに知っている」という観念があれば、空スペースへの流れを止めてしまうことになる。「本当に物事をよく判っている人とは、自分は、ほとんど判っていないとよく知っている人だ」天地自然の理に従って流れ込む知識を、自ら止めてしまうようなことをしてはいけない。

「自分は、すでに知っている」そう感じるタイミングがあったなら、美しい渓流を堰き止める土嚢の山をイメージしよう。それは、ずいぶんと不快なことだ。すぐに土嚢を取り除いて美しい流れを取り戻そう。

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