同じ地球上にいながら、そして、同じ時を過ごしながら違う場所にいる。「類は、友を呼ぶ」この言葉は、その状態を、簡潔に、かつ的確に表現したものであろう。人間の社会には、年齢の違いや、仕事の違い、地位役職の違いなど、様々な「違い」がある。
そして、その「違い」に優越感を感じたり、そして、時に劣等感を感じたりすることもあるだろう。しかし、人間の本質を語る場合に、それらの「違い」は、決して「違い」ではない。精神レベルという概念がある。
人を憎んでいたり、悪事を働こうとする精神レベルと、いつも明るく、すべてに優しい人の精神レベルは違う。それは、お金のあるなしや地位のあるなしは関係なく、その同じ精神レベルを持った人同士は引き付けあう。これが、「類は友を呼ぶ」の本質だ。
他人の失敗を望んだり、足を引っ張ろうとする人がいる。他人の悪口ばかりいったり、愚痴ばかり話す人がいる。自分の精神レベルは、同等だろうか。そうではないならば、同じレベルに降りていく必要はない。黙って席を外せばいいし、相手にする必要もない。
もし、自分の周りにそういった人たちが集まる傾向があるなら、自分の状態が良くない状態であることのメッセージだ。まずやることは、笑顔を取り戻すこと。明るく、前向きに、感謝の気持ちを思い出すこと。
そして、まず一番身近な人たちとの接し方を見直してみる。家族や恋人を、冷たくあしらってはいないか。「挨拶」や「ありがとう」という言葉を忘れてはいないか。精神レベルの螺旋(らせん)階段を登っていくと、その段階ごとに出会う人も変わってくるという。
人生の目的は、その螺旋階段を1段でも上に登ること。そのための気付きを得るためのイベントが逆境であり苦悩だ。誇るべきは、持っているお金の量や、人間によって作られた地位や名誉ではない。誇るべきは、自分の精神レベル。
誰も見ていないところでの振る舞い。人知れず表す感謝の気持ち。そうしたことに幸せを感じることができるならば、もはや怖いものなど何もないといえるだろう。