中国に許由

いろいろなモノに囲まれていると、いつの間にか、モノに支配されてしまう。その自覚がなければ、何かをしようとしたときに、それが足カセになり、可能性を阻害する場合もある。

携帯電話はなくても生活できるし、実際してきたが、今となっては、携帯がない生活は考えられない。釣りも同じように、この道具でなければ、釣りは成り立たないというモノは何一つない。

しかし、モノを中心に考えることが習慣となると、それ以外の可能性を自ら見ようとしなくなる。中国に許由という人の話が、現代まで、滔々と言い伝えられている。

中国に許由という人がいた。その人は自分の身に付けた貯えも無く、水も手で掬い上げて飲んでいた。それを見ていた人が、ひょうたんを与えた。

ある時、木の枝にひょうたんを掛けていると、風に吹かれてやかましいといって捨ててしまった。そして、また手で水を掬い上げて飲むようになった。どんなにか彼の心の中は清々しいものであったことだろう。

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この短い物語が、現代まで語り継がれる理由は?この許由という人の生き方に学ぶべきところは?おそらく、誰も彼を取り込むことも、惑わすこともできない。

本当の意味での「強さ」を、ここに見ることができる。自分の弱点を自分で作るようなことを避けて、楽しめることを、ただ純粋に楽しんでいきたいと思う。

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